熊のこと

こちらへ来た年の秋、ある週末に北部の山麓地域を訪れた。夫が運転する車で、谷川沿いの曲がりくねった道を走っていたとき、前方に見えるガードレールから黒い何かがひょいと顔を出した。
黒猫か?いや、鼻がとがってるから犬?何だろう、そう思っている間にも、それとの距離は縮まっていく。近付くにつれ、相手は思った以上に大きくなった。
この顔は……ブラックベアだ。そう分かった時には車はもう先へ行っていた。
こうも簡単に熊に会ってしまったせいで、私は今も山登りやキャンプには気が進まない。



ところで、私が熊に会ったのはこの時が二度目だ。一度目はもう十年以上前のことで、ヒグマだった。
暑さなどみじんも感じられない北海道東端の夏、雲が深く垂れ込める中、とあるうねった沢筋を登っていたとき、先頭を歩いていた人間が引き返してきた。「熊がいるぞ」
沢にヒグマが下りていたらしい。それまで以上に音を立ててこちらの存在を知らせた。すぐに、ヒグマが谷の斜面を驚くような速さで駆け上がっていくのが見えた。こちらを振り返りながら。
予想はしていたことだが、現実に熊を目の当たりにしたことで、すっかり気がなえてしまったことを覚えている。