徒然草を読む11

第十四段

 和歌とは、何といっても素晴らしいものである。身分の低い者や山中に住む猟師・きこりなどの行いも、歌に詠めば心をひくものとなり、恐ろしい猪も、「ふす猪の床*1」と言えば、風情を漂わせるようになる。
 この頃の歌はというと、部分を見れば趣があるように詠まれているものもあるが、どういうわけか、古い歌のように、用いられている言葉を超えたところにも、しみじみと情趣が感じられるようなものはない。紀貫之*2が、「糸による物ならなくに*3」と詠んだ歌は、古今集の中の歌屑などと言い伝えられるが、それでさえ今の世の人が詠む事のできる歌の姿とは思えない。その頃の歌には、歌全体の姿・歌を構成する各々の言葉において、このような類のものが多かった。この歌に限ってこのように取り立てて言われるというのも、よく分からない。ところで源氏物語*4には、「物ならなくに」ではなく「物とはなしに」として引用されている。新古今集では、「残る松さへ峰にさびしき*5」と詠まれた歌が、歌屑だと言われているようだが、確かに、少し釣り合いが取れていないようにも見える。けれども、この歌も、衆議判*6の時、優れた論議が行われ、後にも、後鳥羽院から特別に、お褒めの文書をいただいたということが、源家長*7の日記には書かれている。
 歌の道だけはいにしえと変わらないなどとも言われるが*8、どうであろうか。今も歌に詠まれる言葉・歌枕*9も、昔の人が歌に詠んだものとは、決して同じではない。昔のものはもっと平易で自然であった。歌の姿も清く、趣も深かったように感じられる。
 梁塵秘抄*10の当世風の歌の言葉にも、趣が感じられる事は多い。昔の人の場合は、ただ言い捨てたようなことでも、皆すばらしく聞こえるのだろうか。

*1:ふすいのとこ:冬場に猪が枯れ草を敷いて眠る場所のことで、「八雲御抄」巻六に収められている「歌のやうにいみじきものはなし。ゐのししなどいふ、おそろしき物も、ふすゐの床などいひつれば、やさしきなり」を受けている

*2:平安前期の歌人で、「古今集」の撰者の一人

*3:古今集」巻九に収められている「糸による物ならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな(糸に縒るものなら次第に太くなっていくが、旅の道はそうではないので、人と別れてひとり行く道は心細く思われるものだ)」

*4:平安中期、紫式部によって書かれた

*5:新古今集」巻六に収められている祝部成茂(はふりべのなりもち)の歌で、「冬の来て山もあらはに木の葉ふり」が上句

*6:しゅぎはん:歌合などで、特定の判者を設けず、左右の方人(かたうど)の論議により判定を行うこと

*7:鎌倉初期の歌人で、新古今集の撰定に関与した

*8:新古今集」巻十八に、このような記載がある

*9:詠歌の題材となる名所や旧跡

*10:りょうじんひしょう:後白河法皇の撰による平安末期の今様歌謡集