平家物語を読む196(最終話)

灌頂巻 女院死去*1

 そうしているうちに寂光院の鐘の声が響き、今日も暮れたことが思い知らされた。夕日が西に傾いたので、名残惜しく思いながらも、後白河法皇は涙を押さえて帰途につかれた。建礼門院は今さらのように昔を思い出されて、こらえ切れない涙を袖で押さえかねている。はるかに見送る法皇の行列も次第に遠ざかっていったので、建礼門院は本尊に向かって「安徳天皇の御霊魂と、平家一門の亡魂が、正しい悟りを開き、速やかに仏果を得られますよう」と泣きながら祈られた。昔は東に向かって「伊勢大神宮、正八幡大菩薩天皇の御命が何万年も続きますよう」と願っていたが、今はそれと引き換えに、西に向かって手を合わせ「亡くなった人々の霊魂が、極楽浄土へ生まれますよう」と祈るのだから悲しい事である。建礼門院は寝所の障子に、こう書き付けられた。
   このごろはいつならひてかわがこゝろ大みや人のこひしかるらん*2
   いにしへも夢になりにし事なれば柴のあみ戸もひさしからじな*3
また、法皇のご訪問のお供をした徳大寺の左大臣・実定公は、庵室の柱にこう書き付けたと聞く。
   いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺の里*4
過去の事、これからの事などを思いながら、涙にむせんでいた時、ほととぎすがちょうど鳴き声を上げたので、建礼門院はこう詠んだ。
   いざさらばなみだくらべん時鳥*5われもうき世にねをのみぞ鳴*6
 そもそも壇の浦にて、生け捕りにされた人々は、都の大路を引き回されて首をはねられたり、妻子と引き離されて遠い所へ流されたりした。池の大納言*7の他は誰一人として、命を生かされたまま、都にいる事を許された人はいなかったのである。けれども、四十人ほどの女房たちについては何の処分もなかったので、それぞれが親類を頼ったり、遠縁の者を訪ねたりしていた。玉のような簾の内にいる事ができても、そこには静かな暮らしなどなく、柴の貧しい家に暮らしても、そこは決して平穏な場所ではなかった。昔は枕を並べた夫婦も、雲のはるかに隔たれた。育て上げた子と親も、互いの行く先を知らないままに別れた。それぞれが相手を思う気持ちは尽きないが、嘆きながらやっとの事で日々を過ごしている。これはただ、清盛公が日本全土を手中に収めて、上は天皇さえも恐れず、下は万民をも顧みず、死罪・流刑を思うままに行い、世も人もはばからなかった事による。父の罪業は子孫に報うという事は、間違いないように見えた。
 こうして年月が過ぎ、建礼門院は病に侵される身となられた。阿弥陀如来の手に掛かる五色の糸を手に取られて、「南無西方極楽世界、教主弥陀如来、必ず極楽浄土へお導きください」と祈って、念仏を唱えられた。大納言佐殿と阿波内侍は左右について、最期の悲しみに声も惜しまず泣き叫んだ。念仏を唱える声がだんだん弱くなると、西に紫の雲がたなびき、素晴らしくいい香りが部屋に満ち、空から音楽が聞こえてきた。人間の命は限りあるものなので、建久二年二月に中旬、建礼門院はついに一生を終えられた。中宮に位につかれた時から、片時も離れずに仕えていた女房たちは、建礼門院のご臨終の際、ひどく取り乱したが、それでも悲しみをどうすればいいか分からないように思われた。この女房たちは、昔からの縁者ともすっかり縁が切れてしまって、身を寄せる所もなかったので、建礼門院の命日ごとの法事を営んだというから哀れな事である。これらの人たちは、最後はついに竜女*8のように女人の身で仏果を得、韋提希夫人*9のように、極楽浄土に往生したいという願いを遂げたと聞く。

―灌頂巻 終わり―

*1:にょういんしきょ

*2:いつのまに私の心はこのようになってしまったのだろう、この頃は宮中に仕える人のことが恋しくてたまらない

*3:昔の華やかな生活も夢の事のようになってしまったのだから、この柴の庵での生活もそう長いものではないでしょう

*4:昔は月にたとえられた方だったが、今はその面影が少しもなく、深山の里でわびしく暮している

*5:ほととぎす

*6:さあほととぎす、私となき比べをしましょう、私もこの辛い世に耐えかねて泣いてばかりいるのです

*7:頼盛

*8:八大竜王の一竜王の娘

*9:いだいけぶにん:古代インドのマガダ国の王の妃