平家物語を読む176

巻第十一 文之沙汰*1

 大納言・時忠卿父子の居所も義経の宿所の近くだった。世の中がこのようになってしまった上は、どうなっても仕方がないと思うべきであるのに、時忠卿はまだ命を惜しく思ったのだろう、息子の讃岐中将・時実を呼んで「他見をはばかる手紙を一箱、九郎判官に取られているのだ。これがもし鎌倉の源二位*2の目に入ったなら、多くの人が危害を受け、私自身の命も助からないだろう。どうすればいいか」と言った。時実が「判官は大体において情けのある人なのですから、女房などが切に頼む事であれば、どのような事であっても、聞き捨てはしないと聞いています。どうして不都合な事があるでしょうか、姫君たちはたくさんいるのですから、誰か一人を嫁がせて、親戚関係になって後、その事を伝えるのはどうでしょう」と言うと、時忠卿は涙をはらはらと流した。「私がこの世の中で栄えていた時は、娘たちを后か女御にと思っていたのに。普通の人に嫁がせようとは、少しも思った事はなかった」時実が「現在の妻である帥典侍殿が生んだ十八になる姫君を」と言っても、時忠卿はその娘をいとおしいと思う気持ちが捨てられずに、先妻が生んだ二十三になる娘を義経に嫁がせたのだった。この娘は年こそ少しとっていたが、見目美しく、心も優しかったので、義経も離れがたく思い、以前からの妻である河越太郎重頼*3の娘がいたが、時忠のこの娘には別の所に立派な部屋を用意して大事にした。さて、この時忠卿の娘が例の手紙の事を話すと、義経は返さないどころではなく、手紙の封を解く事もせずに、すぐ時忠卿の元へ送り返したのだった。時忠卿は非常に喜び、この手紙の箱をすぐに焼き捨てた。どのような手紙だったのだろうと、その内容についての噂話が絶えなかった。
 平家は滅び、早くも国々は鎮まり、人の往来にも心配がなくなった。都も穏やかであったので、人々は「まったく九郎判官ほどの人はいない。鎌倉の源二位は一体、何をしたというのだ。世の中はひたすら、九郎判官の思うままであったらいいものを」などと言い合った。これが鎌倉の頼朝の耳にも入った。「これはどういう事だ。頼朝が計略を立てて、兵士を差し向けたからこそ、平家は簡単に滅びたのだ。九郎だけで、どうして世の中を鎮められるのか。人々のこのような言葉におごって、いつの間にか世の中を思い通りにするつもりだろう。多くの人々の中で、ことさら大納言・時忠の婿になって、時忠を優遇するというのも認めがたい。また、世の中をはばからずに、時忠が九郎を婿にしたのも不当な事だ。鎌倉へやって来ても、きっと過分な振る舞いをするに違いない」と、頼朝は言った。

*1:ふみのさた

*2:頼朝

*3:坂東八平氏の一つ・秩父氏の一族で、畠山能隆の子