平家物語を読む151

巻第十 戒文*1

 都の三位中将・重衡卿は、屋島の平家の返答を聞いて、「やはりそうであろう。平家一門の人々は重衡の取った行動を不都合だと思ったに違いない」と後悔したが、どうしようもなかった。さすがに重衡卿一人の命を惜しんで、皇室の宝物である三種の神器を都へ返すとは思えないので、平家からの返答書の趣旨は、初めから想像がついていたとはいえ、まだ返答が来ないうちは、何とはなしに気が重いくらいだったが、返答書が既に届き、それにより関東へ連れて行かれる事が決まった今では、当てにしていた望みもすべて絶たれてしまって、非常に心細く、都を去るのも名残惜しくなっていた。重衡卿は土肥次郎実平を呼んで、「出家しようと思うのだがどうだろう」と言うと、土肥次郎はこの事を義経に伝えた。義経後白河法皇の御所を訪れ、お尋ねしたところ、「頼朝に会わせた後でならば、どのようにも取り計らおう」とおっしゃったので、重衡卿にもそのように伝えられた。「そうであるなら長年、師弟の約束を結んでいる高徳の僧にもう一度だけ対面して、来世についての教えを受けたいと思うのだがどうすればいいか」「その僧というのは、誰の事ですか」「黒谷の法然源空という人です」「それならば差し支えないだろう」と、これを許されたので、重衡卿は非常に喜んだ。法然に来てもらうと、泣きながら訴えた。「今回、生きたまま捕らわれたのは、再びあなたにお目にかかるためだったのでしょう。それにしてもこの重衡の後生は、どうすれば助かるでしょうか。自分の身が自分の思うままであった頃は、御所への出仕に忙しく、政務に束縛されて、おごり高ぶる気持ちばかりが強く、来世の自分の事を顧みる事はありませんでした。ましてや運が尽き、世の中が乱れてからは、ここで戦い、あそこで争い、他人を滅ぼして自分は助かろうと思う邪心ばかりが強まって、善心が起こった事はありませんでした。とりわけ奈良の寺の炎上については、天皇の命でも武門の命でもあり、主君に仕える身として、世の中の決まりに従わなければならなく、奈良の寺の僧徒たちの乱暴を鎮めるために駆けつけたのですが、思いがけなく寺を滅亡させてしまった事は、どうしようもない結果ではありますが、当時の大将軍であった以上、責任は私一人に帰するという事で、重衡一人が罪を背負う事になったのだと思っているのです。このように、あれこれと人の思いも及ばないような恥をさらしているのも、すべてその報いだと思い知りました。今となっては頭を剃り、仏門に入り、ただただ仏道修行をしたいのですが、このような身になってしまいましたので、自分で自分が思うようにはならないのです。今日明日にも死ぬかもしれない身であるので、どのような修行をしたとしても、これまで積み重ねた罪の一つも助かるとは思えないのが悔しいのです。一生涯に行った行為を思うにつけて、罪業は須弥山*2よりも高く、善業は微塵ほども蓄えがありません。このまま虚しく命が終ったなら、火血刀*3で苦しみを受ける事は間違いありません。どうか、慈悲と哀れみを持って、この悪人が助かる方法がありましたら、示してください」
 この時、法然は涙にむせんで何も言う事ができなかったが、しばらくすると話し始めた。「仏果が得られる機縁のある人間界に生まれる事は難しいというのに、せっかく人間の身を受けながら、その果報を生かせず、悪業を重ねて再び三途に帰るという事は、悲しんでも悲しみ切れる事ではありません。それでも今、煩悩に汚れたこの世を厭い、浄土に生まれ変わる事を願って、邪心を捨て善心を起そうとすれば、過去・現在・未来のすべての仏もこれを心からありがたく思うでしょう。それについて、仏門に入る道はいろいろありますが、仏法が衰えた末世には、念仏を唱えるのが救いを求めるのに最も優れた道です。浄土を、上品上生から下品下生までの九つの等級に分け、「南無阿弥陀仏」の六字を唱えるという修行の集約ならば、どれ程愚かで道理に暗い者でもできるのです。罪が深いからと卑下してはなりません。十悪*4・五逆*5を犯した者も、その心を改めて仏の教えに帰依すれば、浄土に往生する事ができます。善行が少ないからといって、望みを捨てる事はありません。念仏を一度、また十度唱えれば、阿弥陀如来が浄土から迎えに来ます。『専称名号至西方*6』という経文は、ひたすら南無阿弥陀仏を唱えれば、西方の極楽浄土に行く事ができると解釈できます。『念ゝ称名常懺悔』とは、一念に南無阿弥陀仏を唱えれば、それは懺悔となると言っているのです。『利剣即是弥陀号*7』と唱えれば、悪魔は近付きません。『一声称念罪皆除*8』と念ずれば、一切の罪が取り除かれるでしょう。浄土宗の極意は、それぞれ簡略を旨として、その大要を知る事が大切であるとしています。ただし浄土に往生できるかどうかは、信心があるかないかにかかっています。ただ深く信じて、決して疑われませんよう。もしこの教えを深く信じて、日常の起居動作すべにおいて、時と場所を選ばずに、身・口・意の所業と戒律にかなった立ち振る舞いにおいて、心中で弥陀の称号を念じ、口で唱える事を忘れなければ、臨終を契機として、この苦しみの多い現世を離脱して、あの極楽浄土に往生しないはずはありません」このような教えを受けて、重衡卿は非常に喜んだ。「このついでに戒律を授けていただき、それを守りたいと思うのですが、出家するまでは叶わない事でしょうか」と聞く重衡卿に、法然は「出家しない人も戒律を守るのが、世の中の常です」と、重衡卿の額に剃刀を当て、剃るまねをして十の戒律を授けた。重衡卿は喜びの涙を流して、これを受け取った。法然も何とも哀れに思って、暗く沈んだ気持ちで、泣きながら戒律を説いたのだった。布施をと思い、重衡卿は年来いつも遊びに行っていた侍のもとに預けていた硯を、知時に言って取りにやらせ、法然に贈った。「これは、人に与えずに、常に目につくところに置いて、私のものだとご覧になる度に、私と見なして、念仏を唱えてください。暇がある時には、法会・読経・布施など行って、私の冥福を祈っていただければ、ありがたい事と存じます」などと泣きながら言うと、法然は何も言う事ができないまま、硯を取って懐に入れ、袖を涙で濡らしながら帰った。この硯は、重衡卿の父である故清盛公がたくさんの砂金を宋国の御門へ贈った時、お返しとして「日本和田の平太政大臣のもとへ」と贈られたものだという。名を「松陰*9」と言った。

*1:かいもん

*2:仏教で世界の中央にあるとされる山

*3:火途(地獄)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道)の三途

*4:身・口・意の三業による十種の罪悪

*5:父・母・羅漢を殺す、仏身から血を出す、僧団の和を破る、の五つの悪行

*6:せんしょうみょうごうしさいほう

*7:りけんそくぜみだごう:阿弥陀仏の名号は悪魔を断つ鋭い剣である

*8:いっしょうしょうねんざいかいじょ

*9:まつかげ