最初の記憶

 私の母は五人兄弟姉妹の末っ子であるが、すぐ上の姉とでも十一歳の年の差がある。母が生まれた時、母の母、つまり私の祖母は四十を越えていた。その祖母は結婚して故郷を離れた娘の出産を手伝うために、当時は汽車で十二時間もかかる都市へ一人で二度も訪問してくれたそうだ。もちろん、姉と私の時の二度である。
 姉や私は母が呼ぶように、祖母のことを名前の○○に「ばあちゃん」をつけて、「○○ばあちゃん」と呼んでいた。
 ここしばらく体調が思わしくなかった祖母が危ないかもしれないという知らせを受けて、母と姉との三人で汽車に乗り込んだのは真冬、私は三歳になるかならないかの頃だったと思う。これが私の最初の記憶である。
 豪雪地帯を抜ける汽車は途中、何度か立ち往生を繰り返しながら、のろのろと進んだ。と、ガタンという大きな衝撃と共に、列車が止まった。乗客がざわめいている。事故だろうか。母が様子を見に行った。どうやら、飛び込み自殺があったらしい。若い女性だった。真冬で厚着をしていたこともあり、見た目に外傷はわからなかったが即死だったようだ、と母が言った。
 この長旅に父がいないことは、最初から私の中で漠然とした不安になっていたが、この事故でそれが益々大きくなった。早く家に帰りたい、私はそう思っていた。
 結局、汽車は雪と事故とで埒が明かなくなり、また父と連絡を取る中で、祖母の様態も落ち着いたということがわかったので、私たちは逆向きの汽車に乗り換えて、家へ引き返した。
 しかし、ほどなくして祖母は亡くなった。二月の下旬だった。今度は父も一緒に汽車に乗り込んだ。この時の旅の行程は覚えていない。特に雪に悩まされることもなかったのだろう。
 母の生家でもある母の兄の家の奥の間に、上がガラス張りになった足つきの箱が置いてあり、その中に祖母がいた。それが、私が目で覚えている最初で最後の祖母の姿だ。祖母は着物をきっちりとまとい、目を閉じていた。少しも動かない姿を見て、「ああ、○○ばあちゃんが死んでしまった」と幼心に思った。この時の私には、元気だった頃の祖母の記憶があったのだろう。
 今では思い出すことのできないその記憶を思うと、いささか不思議な気持ちがする。