平家物語を読む135

American Goldfinch

巻第九 三草合戦*1

 一方、平家方は小松新三位中将・資盛*2、少将・有盛*3、丹後侍従・忠房*4、備中守・師盛*5を大将軍に、侍大将の平内兵衛・清家、海老次郎盛方を始めとして、総勢三千騎ほどが、小野原から三里離れた三草の山の西の山口陣を構えた。
 その夜の八時頃、義経が土肥次郎を呼んだ。「平家はここから三里離れた三草の山の西の山口に大勢で控えている。今夜、夜討ちにするべきか、それとも明日になってから戦うべきか」と言うと、田代冠者が進み出て言った。「明日の戦にしようと先延ばしにすれば、平家にはそれだけ軍勢がつきます。平家は三千騎、我々は一万騎、こちらがはるかに有利です。夜討ちにするのがいいと思います」これを聞いて土肥次郎は「よくぞ申された、田代殿。それではすぐにも攻めさせよう」と言って、勢いよく立ち上がった。が、兵士たちは「外は暗い、どうしたものか」と口々に言う。義経が「いつもの大松明はどうした」と尋ねると、土肥次郎は「そうそう、その手がありました」と言って、小野原の民家に火をかけたのだった。これを始めに、野にも山にも、草にも木にも火をつけたので、辺りは昼にも劣らないほど明るくなり、義経の軍勢は無事に三里の山を越えた。
 ところで、この田代冠者という者は、伊豆国の前国司である中納言・為綱の息子である父が狩野介茂光の娘に思いを寄せて産ませた子である。母方の祖父に預けられて、武士として育て上げられた。世間一般に称している氏姓としては、後三条院の第三皇子・資仁親王から五代の末裔に当たる。家柄もいい上に、弓矢の腕も優れていた。
 平家方は、その夜に攻められるとは知らない。「戦はきっと明日になるでしょう。戦でも、睡眠は重要な事だ。よく寝て、戦に備えよ」と、先陣の者たちの中には用心する者もいるが、後陣の者たちは甲や鎧の袖などを枕にして、ぐっすりと眠っている。真夜中、源氏の一万騎が押し寄せて、戦の開始を知らせる喚声をどっと上げた。平家方は余りに慌て騒いだため、弓を取った者は矢を忘れ、矢と取った者は弓を忘れ、敵の馬を避けるうちに、敵を中に通してしまった。源氏の軍勢は逃げる敵を、あそこに追っかけ、ここに追っかけ攻め続け、平家の軍勢はあっという間に五百騎が討たれてしまった。怪我をした者も多い。大将軍の中将・資盛、少将・有盛、丹後侍従・忠房は、面目を失ったと思ったのだろう、播磨国高砂*6から舟に乗り、讃岐の屋島へ渡ってしまった。が、備中守・師盛は、平内兵衛・海老二郎を連れて、一の谷へ向ったのである。

*1:みくさがっせん

*2:故重盛の次男

*3:故重盛の四男

*4:故重盛の六男

*5:故重盛の五男

*6:兵庫県高砂市