平家物語を読む123

巻第八 水島合戦*1

 平家は讃岐国屋島にいながらにして、山陽道八ヶ国*2南海道六ヶ国*3の全部で十四ヶ国を討ち取っていた。これを聞いた木曾義仲は、癪にさわる事だと、すぐに討手を送った。矢田判官代・義清を討手の大将軍、信濃国の住人・海野弥平四郎行広を侍大将にして、総勢七千騎ほどが山陽道を馳せ下り、備中国の水島*4の海峡に舟を浮かべ、今にも屋島へ攻め入ろうとしていた。
 同年閏十月一日、水島の海峡に小舟が一艘、現れた。海人の舟か釣り船であろうと思って見ていると、そうではなく平家方からの書状を乗せた舟であった。開戦を知らせるこの書状を見て、源氏方は浜に引き上げて干していた五百艘の舟を、うめき叫びながら海に下ろした。平家は千艘で押し寄せた。平家方の正面から攻める軍の大将軍は新中納言・知盛卿、背面から攻める軍の大将軍は能登守・教経である。教経が「何とお前たち、戦に手を抜くというのか。北国の輩に生け捕られては、悔しいとは思わないのか。味方同士の舟を組合せよ」と言ったため、千艘もの舟の後尾と舳先、その間が綱でつなぎ合わされ、その上に舟と舟とをつなぐように板を渡したので、舟の上は平らになった。源平双方が合戦の開始を告げる喚声を上げ、鏑矢を射合うと、互いに舟を押し寄せて戦が始まった。遠くの者は弓で射て、近くの者は太刀で切った。舟の熊手で攻める者も、攻められる者もいる。組み付いたまま海に落ちる者も、刺し違えて死ぬ者もいる。それぞれが精一杯に戦った。源氏方の侍大将・海野弥平四郎行広が討たれた。これを見た大将軍の矢田判官代・義清が、従者七人と共に小舟に乗って前へ進み出て戦っていたが、どうした事だろう、舟が転覆して皆が死んでしまった。平家は鞍を置いた馬を舟の中に準備していたので、舟を岸に寄せると馬に飛び乗り、叫びながら源氏方に攻め入ったのである。源氏の大将軍は討たれ、残りの者たちは我先にと逃げ出した。平家はこの水島の戦に勝った事で初めて、これまでの敗戦の恥辱をすすいだのだった。

*1:みずしまかつせん

*2:播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門

*3:紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐

*4:岡山県倉敷市玉島柏島で、当時は島だった