平家物語を読む119

クロ

巻第八 緒環*1

 一方、平家のいる大宰府では内裏を造る事が話題に上がっていたが、まだ都となる場所も決まってはいなかった。安徳天皇は岩戸の少卿大蔵・原田種直の宿所に留まっておられた。人々の家は野や田の中だったので、麻の衣を叩く音は聞こえないが、まさに「十市の里*2」と言ったところである。内裏が山の中という事であれば、あの「木の丸殿*3」と同じような雰囲気になるに違いないと、優雅な気持ちになる人もいた。まず、安徳天皇及び平家一行は宇佐八幡宮*4を訪れた。この時は、宇佐大宮司・公道の宿所が安徳天皇の仮の御所となり、社殿の辺りは公卿・殿上人の宿所となった。廻廊には五位・六位の官人が、庭には甲冑・弓矢を帯びた四国・九州の兵士たちが、あふれかえっている。古びた朱色の垣根が、再び塗りなおされたかのように輝いて見えた。こもって行われた七日間の祈願が終る朝、大臣・宗盛公は夢の中でお告げを聞いた。宝殿の戸を押し開いて、気品のある立派な声がこう言った。
   世のなかのうさには神もなきものをなにいのるらむ心づくしに*5
ふと目が覚めた宗盛公は動揺して、
   さりともとおもふ心もむしの音もよわりはてぬる秋のくれかな*6
という古い歌を、心細い思いで口ずさんだ。このような訳で、一行は大宰府へと戻ったのである。
 そうしているうちに九月も十日を過ぎた。萩の葉をなびかせる夕方の嵐の中、着物を着たまま自分の片袖だけを敷いて一人で寝るという秋の情趣は、どこでも同じだとはいうものの、旅の空の下では耐えがたいものである。九月十三日の月は名月であるが、都を思って流す涙のせいで月がはっきり見えない。一年前に宮中にて、月を眺めながらその思いを歌に託した事も、まるで昨日の事のように思えて、薩摩守・忠教は
   月を見しこぞのこよひの友のみや宮こにわれをおもひいづらむ*7
修理大夫・経盛は
   恋しとよこぞのこよいの夜もすがらちぎりし人のおもひ出られて*8
皇后宮亮・経正は
   わけてこし野辺の露ともきえずしておもはぬ里の月をみるかな*9
と、それぞれが詠んだのだった。
 豊後国は、刑部卿三位・藤原頼輔*10卿の国であり、息子である頼経を代官として置いていた。都からこの頼経のもとへ「平家は神にも見放され、法皇にも見捨てられ、都を出て波の上に漂う落人となった。よって、九州の者たちがこれを迎えてもてなす事はけしからぬ事である。豊後国においては、平家に従ってはならない。結束して、平家を追い出すように」との通達があったので、頼経はこの事を豊後国の住人・緒方三郎維義*11に命じた。
 この維義というのは、恐ろしいものの末裔である。というのも昔、豊後国の山里にある女がいた。ある人の一人娘で夫もいなかったのだが、母親にも知らせないまま男が夜な夜な通っていた。年月が重なり、とうとう娘は懐妊した。母親が怪しんで「お前のもとへ通っている者は何者か」と問うと、娘は「来るところは見ているが、どこへ帰るのかは知らない」と言う。「それならば、男が帰る時、何かしるしをつけて、行く方へ跡をつけてみよ」と母親に教えられ、娘は母親の言う通りに男が朝になって帰るのを待った。男の着ている水色の装束の襟に針を刺し、織物のための糸巻きをつけると、娘は男が行く跡をつけた。男は豊後国のうちでも日向国との境に近い所にある姥岳*12という山まで行き、山裾にある大きな岩屋の中へ入っていった。岩屋の入口にたたずんで娘が耳を澄ましていると、うめくような大きな声がする。「ここまで訪ねて参りましたのは私です。お会いできるでしょうか」と言うと、「私は人の姿をしてはいない。この姿を見たなら、お前は生きた心地がしないであろう。すぐに帰れ。お前の腹にいる子は男子である。弓矢にしても刀にしても、九州・壱岐対馬には敵う者がいない者になるぞ」と言う。娘が続けて「たとえどのような姿でも構いません。これまでの夫婦としても交わりが、どうして変る事があるでしょうか。互いの姿を見たいものではありませんか」と言うと、「それならば」と岩屋の中から、巻いた時でも五、六尺*13、頭から尾までは十四、五丈*14もあると思われる大蛇が、身体を揺さぶりながら這い出てきた。衣の襟に刺したと思っていた針は、ちょうど大蛇の喉もとに刺してあった。娘はこれを見て、生きた心地がしない。一緒に連れてきた十人ほどの従者たちは、慌てふためき、叫びながら逃げてしまった。里に戻った娘は程なくして、子を産んだ。男子であった。母方の祖父である太大夫が、育ててみようと言って育てれば、十歳にならないうちから身体は大きく顔が長く、背が高くなった。七歳で元服させ、母方の祖父の太大夫から取って、大太と名付けられた。夏でも冬でも手足の皮膚がくまなくあかぎれになっていたので、「あかがり大太」と呼ばれた。例の大蛇は、日向国に崇められている高智保皇神社*15の祭神の神体であったのだ。緒方三郎維義は、あかがり大太から五代の子孫である。このように恐ろしいものの末裔である上に、国司の命を法皇の命だとして九州・壱岐対馬に書状を回したので、それなりの兵士たちは、皆が維義に従いついたのだった。 

*1:おだまき

*2:とほちのさと:「更けにけり山の端近く月さえて十市の里に衣うつ声」(新古今集式子内親王)を踏まえている

*3:斉明天皇が西征した際に筑前に用意されたという丸木造りの仮御所

*4:大分県宇佐市にある

*5:世の中の憂さには神の力も及ばないのに、何を一心に祈っているのか

*6:それでも何とかなるだろうと思う私の心も、虫の音も、ともに弱ってしまった秋の暮れである(千載集・藤原俊成

*7:去年の同じ日の夜に一緒に月を見た友だけは、都で私の事を思い出してくれているだろう

*8:去年の同じ日の夜、一晩中愛し合った人が思い出されて、何と恋しい事か

*9:かき分けてきた野の露のようにはかない命であるのに、思いもよらなかった山里の月を今は眺めている

*10:よりすけ

*11:これよし

*12:うばだけ:現大分県竹田市と宮崎県西臼杵郡の境の辺りにある祖母山のこと

*13:1.5〜1.8メートルほど

*14:42〜45メートルほど

*15:姥岳の南、現宮崎県西臼杵郡高千穂町にある高千穂神社