平家物語を読む80

巻第五 福原院宣*1

 文覚は近藤四郎国高という者に預けられて、伊豆国の奈古屋寺*2に住んだ。よく兵衛左・源頼朝のところを訪ねては、昔や今の事をあれこれと話して気を紛らわせていたが、ある時、文覚は頼朝に向かってこう言った。「平家では何と言っても重盛殿が心も強く、戦略にも長けていらっしゃったのだが、平家の運命も尽きるのだろうか、この八月にお亡くなりになってしまった。今は源氏・平氏の中に、そなたほど将軍となるべき人相を持っている人はいない。さっさと謀反を起こして、日本国を従えなさい」これを聞いた頼朝は「思いもよらない事を言い出しなさる。私は故池の尼御前*3によって、生きていても何の望みもない命を助けられたのですから、その後世を弔うために毎日、妙法蓮華経を転読*4する他は何の考えもありません」と言った。が、文覚は続けて「『天が与えるところを受け取らなければ、返ってその咎を受ける事になる。時が来たのに行わなければ、返ってその災いを受ける事になる*5』という典拠となる文句がある。こう言えば、そなたの心を試そうとして言っているなどと思われるか。そなたに対しての情の深さのしるしを見られよ」と言って、文覚は懐から白い布に包んだどくろを一つ取り出した。頼朝が「それは何だ」と聞くと、「これこそはそなたの父、故左馬頭・義朝殿の頭である。平治の乱の後、獄舎の前に生える苔の下に埋れて、後世を弔う人もいなかったのを、この文覚が思うところあって、獄舎の番人からもらい受け、この十年以上、首にかけて山や寺をいくつも拝んで回り弔ったので、長い地獄の苦しみから少しは救われる事でしょう。つまり文覚は、故義朝殿に対してもよく仕えている者なのですよ」と答える。頼朝は、そのどくろが本当に父のものであるか確信はできなかったが、父の頭と聞いた懐かしさに、つい涙を流した。その後、二人は打ち解けて、いろいろな話しをした。「そもそも赦免もされていないのに、どうして謀反を起こす事などできるのだ」と聞くと、「それは簡単な事です。すぐに都へ上り、法皇のお赦しをいただいてきましょう」と言う。「とんでもない。あなたも勅勘を被っている身で、他人の赦しを乞うなどという調子のいい事を請合うとは、とても真実とは思えない」「私自身の勅勘の赦しを乞おうというのであれば、間違っていましょう。だが、あなたの事をお願いするのに何の差支えがありましょうか。現在の都・福原までは三日とかからないでしょう。院宣を打診してみるのに一日は必要ですから、全部で七、八日ほどで済むはずです」文覚はそう言うと、飛び出していった。奈古屋寺に戻って、弟子たちには伊豆の御山*6に人目を忍んで七日間こもるつもりだと言ってから出発した。
 文覚はやはり三日で新都の福原へ着こうとしていた。少しばかり縁のあった前右兵衛督・藤原光能*7卿のもとを訪れ、「伊豆国の流人・前兵衛左の源頼朝が、勅勘を赦されて、院宣を受け取る事ができたなら、関東八カ国の侍たちを集めて平家を滅ぼし、国を落ち着かせようを言っています」と伝えた。「どうだろうか、私自身も現在は三官*8すべてを奪われて、心苦しい時期である。法皇も閉じ込められていらっしゃるので、どうであろうか。そういっても、伺ってみようか」と、光能卿がこの事を密かに後白河法皇へ伝えたところ、法皇はすぐに院宣を下された。文覚はこれを首に掛けて、帰りも三日で伊豆国へたどり着いた。頼朝が「何と、あの御坊は、なまじっかつまらない事を言い出して、頼朝は一体またどのような憂き目にあうだろうか」と、あれこれと思い煩っていたところ、八日目の正午頃、文覚は姿を現し「それ院宣だ」と文書を渡した。頼朝は院宣と聞いてその恐れ多さに、手を洗い口をすすぎ、新しい烏帽子・白い狩衣を着て、三度頭を垂れてから院宣を開いた。
この数年、平氏は皇室をないがしろにし、政道において行動を慎む事がない。仏法を滅ぼし朝廷の権威を滅ぼそうとしている。我が国は神国である。皇室の先祖を祀る御霊屋*9は共に、霊験が著しい。よって天皇が政治を執り始めて以来、数千年もの間、王の治政を傾け、国家を危うくしようとする者が、敗北しなかった事はない。つまり一方では目に見えない神の助けに任せ、また一方では勅命の趣旨に従って、早く平氏の一族を誅して、国の敵を退けよ。源氏に代々伝わる兵略を継ぎ、祖先から継ぐ忠実な奉仕の心を持って、身をたてて家を起こしなさい。院宣はこの通りである。取り次ぐ事は以上の通り。
 治承四年七月十四日 前右兵衛督光能が承る 前右兵衛左殿へ
院宣にはこのように書かれていた。この院宣を、頼朝は錦の袋に入れ、石橋山の合戦の時も、首に掛けていたとも聞く。

*1:ふくはらいんぜん

*2:静岡県韮山町の北東にあった安養浄土院のこと

*3:平忠盛の後室で、清盛の継母・宗子

*4:「真読」に対する語で、経文の題目・品名などの要所を読み上げて、読誦したことに代えること

*5:史記」による

*6:静岡県熱海市伊豆山神社

*7:みつよし:後白河法皇の近臣だったが、治承三年に清盛によって官を解任されていた(巻第三「大臣流罪」参照)

*8:参議・皇太后宮権大夫・右兵衛督を解任されていた

*9:伊勢神宮石清水八幡宮を指す