平家物語を読む29

巻第二 徳大寺厳島

 ところで徳大寺の大納言・藤原実定卿は、平家の次男である宗盛卿に大将の位を越されてからしばらくの間、世間をはばかって家の中にとじこもっていた。出家すると言うので、家に仕える者たちはどうしたものかと悲嘆に暮れていた。その中に蔵人大夫・藤原重兼という、もろもろの事をよく心得ている者がいた。ある月の夜、実定卿が南向きの格子戸を開けて一人で月を眺めながら詩歌を口ずさんでいると、実定卿をなぐさめようと思ったのだろう、重兼がやって来た。「誰だ」と聞くと、「重兼でございます」と答える。「何用だ」と尋ねると、「今夜はことに月が澄んでいましたので、心の赴くままにやってまいりました」と言った。実定卿は「よくぞ来た。余りにも心細く、手持ち無沙汰であったのだ」と言った。その後、これという事もない雑談をして、重兼は実定卿をなぐさめた。実定卿は「この世の中を見れば見るほど、平家の勢いはますます盛んになっている。清盛公の長男、次男は左右の大将だ。すぐ続いて三男の知盛、孫の維盛も控えている。彼らが順に大将になっていったら、他家の者がいつ大将になれるかわからない。そうであるから、人は最後には必ず出家するものであるし、今、出家しようと思う」と言った。重兼は涙をはらはらと流して言った。「主君が出家するとなれば、家に仕える上下の家臣たちは皆、行き場を失い流浪の身になるでしょう。重兼は目新しい事を考えてきました。具体的に言うと、平家がこの上なく崇め敬っている安芸の厳島へ行く事に、何の差支えがありましょうか。厳島の社へ行って、祈願しましょう。厳島の社には巫女として、歌舞を奏する雅やかな者たちがたくさんいます。七日程こもって祈願していると、珍しく思ってその巫女たちがやって来るでしょう。『何のための祈願でこもっているのでしょうか』と問われたら、ありのままをおっしゃって下さい。都へ帰る時、巫女たちは名残惜しむでしょうから、主だった者たちを連れて帰ってくるのです。都へ行ったならば、巫女たちはきっと清盛公の西八条の邸へ顔を出すでしょう。『実定殿は何のための祈願で、厳島へ行ったのだろうか』と清盛公が尋ねれば、巫女たちはありのままに答えるでしょう。清盛公は特に物事に感激しやすい人ですから、自分が崇める神を訪れて祈願をした事を嬉しく思い、いい計らいがあるものと思われます」実定卿は「このような事は思いもつかなかった。めったにないうまい思いつきだ。すぐに出かけよう」と言って、参詣のための精進を即座に始め、厳島へ向かった。
 厳島の社には、本当に巫女として雅やかな女たちがたくさんいた。七日間こもって祈願していると、昼夜の世話だけではなく、舞を伴う雅楽まで三度もあった。琵琶・琴弾き、神楽歌いなどと戯れていると、実定卿も面白くなってきて、神仏のために流行の歌や朗詠*1を歌い、宮廷の遊宴で歌われる歌謡や雅楽の曲調にされた民謡などまでも歌った。巫女たちが「当社へは平家の方々ばかりが訪れているので、あなたの参詣はとても珍しい事です。何のための祈願でこもっていたのですか」と言うので、実定卿は「大将の位を他の人に越されたので、その大将になるための祈願です」と答えた。さて七日の祈願が終わり、大明神に暇を告げて都へ戻ろうとすると、上位の巫女十人ほどが名残惜しみ、実定卿を見送るために舟を出して一日、共に波路を行った。そこで暇を告げると、実定卿に「このまま別れてしまっては余りに名残惜しい」と言われ、「もう一日だけ」、「もう二日だけ」と言われているうちに、とうとう巫女たちは都まで来てしまった。実定卿の邸へ迎え入れられて、いろいろともてなされ、様々な贈り物をいただいて、巫女たちは邸を後にした。
 巫女たちは「ここまで来た以上は、私たちの主君である清盛殿に顔を見せない訳にはいきません」と、西八条の邸へ向かった。清盛公は驚き、急いで対面して「巫女たちは何の用でそろって来たのか」と言った。「実定殿が参詣し、七日間こもって祈願されていました。都へ帰る日になったので、舟で一日、見送りしたところ『このまま別れてしまっては余りに名残惜しい、もう一日だけ』、『もう二日だけ』と言われるうちに、ここまで連れてこられてしまいました」清盛公が「実定卿は何のための祈願で、厳島を参詣したのだろうか」と聞くと、巫女は「大将になるための祈願だとおっしゃっていました」と言う。これを聞き、清盛公は何度もうなずいて「何と気の毒な事だ。都にはあれ程尊い霊験あらたかな寺院や神社がいくらでもあるというのに、それらを差し置いて私が崇め敬う神を参詣し祈願するとはめったにない事だ。大将への望みがこれ程切実であるとは」と言った。それから、内大臣と左大将を兼任していた長男の重盛公に左大将を辞めさせ、右大将である次男の宗盛殿を越えさせて、実定卿を左大将にした。なんと素晴らしい計略であった事か。成親卿もこのように賢明な計略を考えればよかったものを、それをしないで謀反という悪い事を行ったため、我が身も亡び、子息から家来に至るまでがあのような辛い目を見たとは、遺憾な事である。

*1:漢詩文や和歌の秀句に節をつけて吟じたもの