遠い自然

アラスカ永遠なる生命(いのち) (小学館文庫)
 何の本だったかは忘れたが、以前読んだ星野道夫の著書の中で、きわめて印象に残る箇所があった。それは、学生だった氏が北の自然に憧れを強くし始めたころのことで、「こうして自分が学校の机に座っている間にも、地球の原野のどこかではクマが活動している、そう考えるだけで胸が高鳴った」というようなものだったと記憶している。
 日常の生活の中で得てしてぶつかる難儀から抜け出せず、途方に暮れて立ち止まってしまったとき、どこからともなく氏の視点が思い出されることが私にはあった。「たった今も、地球のどこかではクマやムースが自然の中を闊歩している」そう思うと、不思議と心が落ち着き、次の一歩を踏み出すための静かな力を持つことができた。
 昨日、手に取った「アラスカ 永遠なる生命」は星野道夫のエッセイ集及び写真集を再構成したものだ。この中にも、氏の自然に対する変わらぬ視点が綴られている箇所があったので以下に引用しておく。

 きっと人間には、ふたつの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、それはなんでもない川や小さな森であったり、風がなでてゆく路傍の草の輝きかもしれない。そしてもうひとつは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。
――「カリブー」より
 われわれの生活のなかで大切な環境のひとつは、人間をとりまく生物の多様性であると、ぼくはつねづね思っている。彼らの存在は、われわれ自身をほっとさせ、そして何よりぼくたちが何なのかを教えてくれるような気がする。一生のうちで、オオカミに出合える人はほんのひとにぎりにすぎないかもしれない。だが、出合える、出合えないは別にして、同じ地球上のどこかにオオカミのすんでいる世界があるということ、また、それを意識できるということは、とても貴重なことのように思える。それはもちろんオオカミだけに限ったことではない。
――「ホッキョクグマ」より