徒然草を読む99

百二十一段

 家畜として飼うものには、馬・牛がいい。つないで苦しめるというのは痛ましいけれど、なくては困るものなので、どうしたらいいものか。犬は、家を守り盗人を防ぐ事において人より優れているので、必ずいた方がいい。だが、どの家にもいるものであるから、わざわざ求めて飼わなくともいいであろう。
 その他の鳥・獣は、すべて必要のないものである。檻に閉じ込められ、錠を掛けられた走る獣は野山を思って愁い、翼を切られ、籠に入れられた飛ぶ鳥は、雲を恋しく思い、悲しみが止む事はない。その思いが、身につまされて耐え難く思う心のある人は、どうしてこれを楽しむ事ができるだろうか。生を苦しめて目を喜ばせるというのは、桀・紂*1の心と同じである。王子猷*2が鳥を愛したというのは、林に楽しむのを見て、逍遥の友としたのであって、捕らえて苦しめたのではない。
 そもそも、「珍しい鳥、怪しい獣は国で育てないこと*3」と、書物にもあるではないか。

*1:けつ・ちゅう:古代中国、夏の王と殷の王で、共に暴君として有名

*2:おうしゆう:晋の王羲之の子、王徽之(おうきし)

*3:「珍禽・奇獣、国に育はず」書経