徒然草を読む42

第五十三段

 これもまた仁和寺の法師の話しである。稚児*1が僧になるのでその別れにと、酒宴を張った際、酔って浮かれ騒ぐうちに、そばにあった足つきの鼎を取って、頭にかぶった。つかえるように感じたので、鼻を押さえて顔を押入れ、舞い始めたところ、その場にいた人々は皆が面白がった。
 しばらく舞った後、鼎から頭を抜こうとしたが、まったく抜くことができない。酒宴の興も醒め、人々はどうしたものかと途方に暮れた。ややもすれば、首の周りが傷つき、血が垂れる。やたらに腫れ上がって、息をするのも苦しくなってきたので、鼎を打ち割ろうとしたが、簡単には割れない上、その衝撃が耐え難く、それ以上は割ろうとすることもできない。どうしようもなくなって、三足の角の上に衣をかぶせ、手を引き、杖をつかせて、京の医師のもとへと連れて行った。道中、出会う人にはひどく怪しまれる。ようやく医師のもとへ着いたが、向かい合って座るその様子は、何とも奇妙なものであったに違いない。何か話しをしても、声がくぐもって聞こえない。「このようなことは、医書にも見当たらず、口伝の治療法にもない」と医師に言われ、また仁和寺へ帰った。親しい者、老いた母などが、枕元で泣き悲しんだが、聞こえているかどうかもわからなかった。
 そうしているうちに、ある者が「たとえ耳と鼻を失ったとしても、命が助からないわけはない。ただ、力を込めて引き抜いてください」と言うのを聞き、稲藁の穂の芯を首の周りに差し入れ、鼎が首に直接触れないようにし、首もちぎれんばかりに引っ張ると、耳と鼻がもぎ取れながら鼎は抜けた。危うく命拾いし、長い間、病に伏したという。

*1:貴族の子弟で、寺院に入れられ諸種の教育を受けさせられた者