徒然草を読む7

第九段

 女というのは、髪が美しければ美しいほど、人目をひくものであるが、その身分・気立てなどは、話しをする際の声によって知るところが多く、物越しであってもよく分かるというものだ。
 女は事あるごとに、わずかな仕草でも人の心を惑わす。すべての女は気を許して眠りに落ちる事もない。女が我が身を惜しまず、堪え難い事にもよく堪え忍ぶのも、ひとえに恋情のせいである。
 実に、女への愛執というのは、その根が深く、源は遠いところにある。六塵*1による欲望は多いといっても、みな遠ざける事ができる。その中で、ただ一つ、この愛執による惑いだけは絶つ事が難しい。これは、老いも若きも、智ある者も愚かな者にとっても、変わりないように見える。
 そもそも、女の髪で縒った綱には巨大な象さえもつながれてしまい*2、女の履いた足駄で作った鹿笛を吹けば、秋の鹿は必ず寄って来る*3と言い伝えられている。自ら戒めて、恐れ、慎むべきなのが、この惑いなのだ。

*1:ろくじん:仏教において、人の心を汚す六つの対象(色・声・香・味・触・法)

*2:「五苦章句経」による

*3:「美人草」より