平家物語を読む192

灌頂巻 女院出家*1

 故清盛公の次女で、故高倉上皇の后である建礼門院は、東山の麓の吉田*2の辺りに身を置かれる事となった。中納言法印・慶恵*3という奈良の法師の宿坊である。長い年月により住み荒らされ、庭には草が深く茂り、軒には羊歯がびっしりと生えていた。簾がちぎれ寝室が露わになり、雨風をしのげそうにもない。花は色とりどりに咲いているが、主人と頼む人はなく、月明かりは毎晩のように差し込むが、それを共に眺める人もいない。昔は玉のように美しい御殿で、錦の几帳に囲まれて過ごしたというのに、今はありとあらゆる人々と別れ果て、恐ろしいほど朽ち果てた僧坊にいらっしゃる。その心の内が思われて気の毒であった。まるで陸に上がった魚、巣から離れてしまった鳥のようである。このような事になった上は、辛かった波の上の船の住まいさえも、恋しく思われるほどであった。青い波のはるか彼方に遠ざかってしまった西海の雲に思いを馳せ、苔むした東山の家で庭を照らす月を眺めては涙を流される。悲しいなどというものではない。
 かくして建礼門院は、元暦二年五月一日に髪を下ろされた。出家に当たって戒を授ける師は、長楽寺*4の阿証房の印西*5と聞く。お布施は故安徳天皇の直衣であった。最期の時の直前まで着用されていたものであったので、その移り香もまだ残っている。形見にと、西国からはるばる都まで持って来たものであり、この世がどのようになろうと、その身から離さずにいようと思われていたのだったが、お布施にするものがなく、更には安徳天皇の後世を弔うためと、泣く泣く取り出されたのである。これを受け取った印西は何と申し上げていいかも分からず、墨染めの衣の袖を涙で濡らしながら、泣く泣く退出した。この直衣は幡*6に縫われて、長楽寺の仏前に掛けられたと聞いている。
 建礼門院は十七歳で入内し女御となり、十八歳で高倉天皇の后妃となられた。高倉天皇は、朝は政務を執り、夜は后を寵愛した。二十四歳の時に誕生した皇子が皇太子の位につかれた際、院号を贈られて建礼門院となられたのである。清盛公の娘である上に、天皇の生母でいらっしゃったので、世の中での重んじられようは並々ではなかった。今年で二十九歳になられる。桃の花のように端麗で、蓮の花のように美しいお姿は今も衰えてはいらっしゃらないが、このまま光沢のある髪を持っていても何の甲斐もないという事で、ついに髪を下ろされたのだった。浮世を厭い、正しい道へ入られても、嘆きが尽きる事はない。もはやこれまでと海に沈んだ人々の様子や安徳天皇と二位殿の面影が、いつの世になっても忘れられないであろう。草葉の先にたまる露のようにはかない命を、どういう訳か今まで生き永らえて、このような辛い目を見るとは。建礼門院はただ涙を流されるばかりだった。時は五月、夜は短いといっても、眠る事のできない身には長く辛い夜でしかない。まどろむ事さえないので、昔を夢に見る事も叶わなかった。壁際に置かれた灯の残り火がかすかに揺れ、寂しげな雨の音が一晩中、窓を打つ。上陽人*7が上陽宮に閉じ込められた時の悲しみも、これほどではないように思われた。元の主人が移し植えたのだろう、橘の花の軒近くで風が懐かしい香りを漂わせる中、ほととぎすが二声三声鳴いた。これが昔を忍ぶ縁となったのだろうか、建礼門院は「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする*8」という古い歌を思い出され、硯のふたにこのように書かれたのだった。
   ほとゝぎす花たちばなの香をとめてなくはむかしのひとや恋しき*9
 平家の女房たちは、二位殿と小宰相殿*10のように、勇ましく水の底に沈む事はできなかったので、荒々しい武士に捕らわれて都へ戻り、若い人も老いた人も髪を下ろして尼となり、生きているとも思われない有様で、思いもしなかった谷の底や岩の狭間で人目を忍んで暮らしていた。以前、住んでいた家はすべて煙となり、今はその跡が残るばかり。そこも草の茂る野となるにつれ、訪れる人もいなくなった。漢の二人の男が仙女の家から帰ってみると、七世の子孫の代になっていたというのも*11、このような事であったのだろうと思われた。
 そうしているうちに、七月九日の大地震で土塀も崩れ、荒れていた御所も傾き、ますます住む事ができるような状態ではなくなった。六・七位の緑衣を着た官人が宮廷の門を警備するという事もない。荒れ放題の垣根は草の茂った野よりも露に濡れ、秋の訪れを知っているかのように、いつしか虫が声々に悲しげな様子で鳴くのも哀れであった。夜もだんだん長くなると、いっそう眠りにつくのが難しくなり、建礼門院は起きたまま夜を明かされる事が多かった。尽きない物思いに、秋の哀れさが加わって、何とも耐え難い。何事もとどまる事のないのが浮世であるのだから、たまには情けを掛けてくれてもいいはずの縁故の人々も、皆が離れて行ってしまい、慰めに訪れるような人は誰一人としていなかった。

*1:にょういんしゅっけ

*2:京都市左京区吉田

*3:きょうえ

*4:ちょうらくじ:現京都市東山区円山町にあり、延暦寺の別院だった

*5:いんせい

*6:はた:仏具の一つで、法会や説法の際、寺院の境内や本堂に立てる飾り布

*7:しょうようじん:唐の時代、洛陽の上陽宮に幽閉された後宮の美女

*8:古今集・読み人しらず

*9:ほととぎすよ、橘の花の香りを求めてここで鳴くのは、私のように昔の人が恋しいからであろうか

*10:越前三位・通盛の北の方

*11:和漢朗詠集「仙家」より