平家物語を読む185

巻第十二 判官都落*1

 ここに、足立新三郎という雑役を務める者がいた。鎌倉殿より「あいつは身分の低い者であるが、格別に気のきく者だ。召し使われるといい」と、義経に送られた者であったが、内々には「九郎の振る舞いを見て、この頼朝に知らせよ」と命じられていた。土佐房が切られたのを見た足立が、夜も休まずに馬を駆けさせ鎌倉へ急ぎ、鎌倉殿にこの事を伝えたところ、鎌倉殿は弟の三河守・範頼に義経の討手として都へ向かうようにと言った。範頼はしきりにこれを辞退しようとしたが、何度も言われるので、どうする事もできない。とうとう武装して、暇を告げに鎌倉殿を訪問した。「あなたも九郎のまねをなされませんように」と鎌倉殿が言うのを聞き、恐怖を感じた範頼は、武技を脱ぎ捨てて、都に向かう事を思いとどまった。鎌倉殿に対する不忠など決してない事を、昼は一日に十枚づつ、仏に誓いを立てて文書を書き、夜は中庭にてこれらを読み上げ、百日で千枚の起請文を書いて鎌倉殿に届けたが、その努力も虚しくついには討たれてしまった。その後、北条四郎時政*2を大将として、討手が都へ攻めてくるという噂が流れると、義経は九州の方へ姿をくらまそうと考えた。緒方三郎維義*3は平家を九州の中にも入れず、追い出すほど威勢のある者だったので、義経は「私に頼まれてくれ」と言った。「そうであるのでしたら、配下の菊地次郎高直*4は、年来の敵でございます。身柄を引き渡していただき、その首を切った上で、依頼に応じましょう」と緒方は言った。義経はあっさりと菊地を緒方に引き渡したので、菊池次郎は六条河原で切られた。その後、緒方三郎はいかにも頼もしげに義経の依頼を受け入れた。
 十一月二日、九郎大夫判官・義経後白河法皇の御所を訪れた。法皇の近臣である大蔵卿泰経*5朝臣を介して「義経が君のために奉公の忠義を尽くしてきた事は、今更改めて申し上げるまでもありません。しかし頼朝は、従者の告げ口によって、義経を討とうとしていますので、しばらく九州の方へ身を隠そうと思っております。どうか公文書を一通、出していただけますでしょうか」と伝えてきたので、法皇は「この事を頼朝が人づてに聞いたならば、どうなるであろうか」と、公卿たちと相談された。「義経が都にいて、関東の軍勢が乱入したならば、都での騒動は治まる事がないでしょう。遠国へ行ったならば、しばらくはその恐れがありません」と、皆が口をそろえて言ったので、緒方三郎を始めとして臼杵・戸次・松浦党など九州すべての者が、義経を大将としてその命に従うようにとの公文書を義経に出した。よって翌三日の午前六時頃、義経は五百騎ほどの勢で、少しも騒ぎを起こす事なく、静かに都を発ったのである。
 摂津国の源氏である太田太郎頼基*6は「鎌倉殿の手前、我が家の門の前を、矢の一本も射掛けずに通していいものか」と、川原津という所で義経の勢に追いつき、攻め寄せた。義経は五百騎以上、太田太郎は六十騎ほどである。すぐに義経の勢に取り囲まれて「討て、討ちもらすな」と、散々に攻め立てられた。太田太郎自身も負傷し、家来・従者も多くが討たれ、馬も腹を射られて退散した。義経は討ち取った者たちの首を切って戦神に祭り、いい門出だと喜んで大物の浦*7から船に乗った。ところが折節、西風が激しく吹き、一行は住吉の浦*8に打ち上げられてしまった。吉野の山奥にこもったが、吉野の金峰山蔵王権現の僧徒たちに攻められ、奈良へ逃げた。が、奈良の寺院の僧徒たちに攻められて、再び都へ帰り、北陸道を経て最後は奥州へ向かった。当初、都から連れてきた十人ほどの女房たちは、住吉の浦に置き去りにされた。松の下、砂の上で長い袴を踏み乱し、袖を敷いて泣き伏しているのを、住吉神社の神主が憐れんで、すべて都へ送り返した。義経が頼みにしていた伯父の信太三郎先生義教*9、十郎蔵人行家、緒方三郎維義の船は、それぞれが島や浦に打ち寄せられて、互いに行方さえ分からない。突如として西風が吹き付けた事も、平家の怨霊の仕業と思わずにはいられなかった。十一月七日、鎌倉の源二位・頼朝卿の代理として、北条四郎時政が六万騎の軍勢を率いて都へ入った。伊予守・義経備前守・行家、信太三郎先生義教を追討するべきだという旨を伝えると、すぐに法皇の命による文書がくだされた。つい先日の二日には、義経が申し入れた旨によって、頼朝に背くような意の公文書が出され、今日八日には、頼朝卿の申し出によって義経追討の命が下されるとは。朝に変わった事が夜にはまた変ずるという世間の不確かさは、まったく哀れなものであった。

*1:ほうがんのみやこおち

*2:桓武平氏だが、娘の政子が頼朝に嫁いだ

*3:参照:巻第八「緒環」「太宰府落」

*4:肥後国菊池郡の豪族

*5:やすつね

*6:よりもと:源満仲の子

*7:だいもつのうら:現兵庫県尼崎市の海岸だが、当時は淀川の河口だった

*8:大阪市住吉区住吉神社の辺りの海岸

*9:よしのり:義朝の弟