平家物語を読む184

紅葉

巻第十二 土佐房被斬*1

 さて、九郎判官・義経は、鎌倉殿から侍十人をつけられていたが、内々に義経が嫌疑を受けているとの噂が流れると、侍たちは鎌倉殿の意向に合わせて、一人ずつ鎌倉へ戻ってしまった。兄弟であることにより、去年の正月、木曾義仲を追討してから今まで、幾度となく平家を攻め落とし、今年の春にはとうとう平家を滅ぼし、天下を平穏にした。その武功を賞して官位や領地などが与えられるべきであるのに、どういう事情があってこのような噂が立ったのだろうかと、後白河法皇を始めとして万民に至るまでが不審に思っている。実はこれは、去年の春、摂津国の渡辺に船をそろえて屋島へ渡った時、船に逆櫓を立てるか立てないかの議論をして、義経に嘲弄された事を根に持った梶原景時が、常に鎌倉殿に対して告げ口をしたためであった。鎌倉殿は「きっと謀反の心もあるに違いない。侍たちを差し向けると、宇治川瀬田川の橋の橋板を取り外し、都中が大騒ぎになって、返って具合が悪いだろう」と、土佐房正俊を呼んで「あなたが都へ行って、寺院詣でをする風を装い、義経を討て」と言ったので、土佐房はかしこまってこの命を受け、宿所へも帰らずにそのまますぐ都へ向かった。
 九月二十九日、土佐房は都へ着いたが、次の日になっても義経の邸へ行こうとはしない。土佐房が都へ来た事を聞いた義経が、武蔵房弁慶に呼びに行かせると、土佐房はすぐに一緒にやって来た。「おい、鎌倉殿からの文はないか」「これといった用事もありませんので、文は用意なされていません。ただ『これまで都でこれといった事件が起きてないのは、あなたがそうして都にいらっしゃるからだと思っています。よくよく注意して、都を守護してくださいと伝えよ』とだけ、言付かってまいりました」「まさかそんなはずがあるまい。義経を討つために都へ来た使者であろう。『侍たちを差し向けると、宇治川瀬田川の橋の橋板を取り外し、都も田舎も大騒ぎになり、返って具合が悪いだろう。あなたが都へ行って、寺院詣でをする風を装い、義経を討て』と命じられたのだな」これを聞いた土佐房は非常に驚いた。「どうして今、そのような事があるでしょうか。年来の願いであった熊野参詣のために、都へ来たのです」「ありもしない事を景時が告げ口した事によって、義経は鎌倉へも入れず、鎌倉殿との対面すら許されずに、都へ追い返された事はどうなのか」「その事は、私は存じません。私自身に関しては、まったく後ろ暗い事はありません。仏に誓いを立てて文書を書いて進ぜましょう」これを聞いて義経は「いずれにしても、鎌倉殿にはよく思われてはいないのだから」と、更に機嫌が悪くなった。土佐房は何とかこの場を逃れるために、即座に七枚の文書を仏に誓いを立てて書き、それを焼いて灰を飲んだり、社に納めたりして、その日は許されて帰ったが、御所の警護に当たる大番役の武士たちに布告を出して、その夜すぐに攻め寄せようとしていた。
 義経は、磯禅師*2という白拍子の娘でしずかという女を寵愛していた。しずかも義経のそばを離れる事はなかった。しずかが「大路には武者があふれています。きっとこれは、昼に起請文を書いた法師の仕業と思われます。人と遣わせて調べさせましょう」と、六波羅の故清盛公に仕えていた「かぶろ*3」が三、四人いるうちの、二人を遣わせたが、いつまでも戻ってこない。返って女の方が差し障りないかもしれないと、召し使っている女を一人、調べに行かせた。程なく走り戻ってきた女は「かぶろと思われる者は二人とも、土佐房の宿所の門の前で切り伏せられています。土佐房の宿所には鞍が置かれた馬がひしめき合っていて、大幕の中では矢を背負い、弓に弦を張りと、皆が武装してたった今にも攻め寄せようという装いです。少しも寺院詣での様子には見えません」と言った。これを聞いて義経はすぐに立ち上がった。しずかが大鎧を急いで着せ掛ける。鎧の胴部分だけを着た簡略な姿で、太刀を手に取って外へ出ると、中門の前に鞍を置いた馬が用意されていた。これに飛び乗って「門を開けよ」と、門を開けさせ、今か今かと敵を待つ。ややあって完全武装した四、五十騎の兵士が門の前に押し寄せて、戦の開始を知らせる喚声をどっと上げた。義経はあぶみに足を踏ん張って立ち上がり、大声で「夜討ちであっても昼の戦であっても、義経を簡単に討つ事ができる者は、この日本国にいるとは思えない」と言うと、ただ一騎でうめき叫んで突進したので、五十騎ほどの兵士たちは、中を開けてこれを通した。
 続いて、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤四郎兵衛忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵房弁慶などという一人で千人の相手をするといわれる兵士たちが、すぐに攻め戦った。その後、侍たちが「殿の邸に夜討ちが入ったぞ」と、あちこちの宿所から駆けつけた。瞬く間に六、七十騎ほどが集まったので、土佐房は勇敢に攻め寄せたが、戦う事ができない。散々に駆け散らされて、助かる者は少なく、討たれる者が多かった。土佐房はやっとの事でこの場を逃れて、鞍馬の奥に逃げこもったが、鞍馬は義経の故郷の山であったので、鞍馬寺の法師が土佐房を捕まえて、次の日に義経のもとへ送った。土佐房は僧正が谷*4という所に隠れていたと聞く。
 土佐房は大庭に引っ立てられた。濃紺に染めた衣に、頂をとがらせた頭巾をかぶっている。義経が笑って「おい、起請文の罰が当たったな」とうと、土佐房は少しも騒がず、居直って大声で笑うと「でたらめを書きましたので、罰が当たりました」と言った。「主君の命を重んじて、私の命を軽んずる。その志しの程は、まったく感心である。命が惜しいのなら、鎌倉へ帰してやろうと思うのだがどうか」「馬鹿馬鹿しい事をおっしゃるものだ。命が惜しいと言えば、殿は私を助けなさるというのか。鎌倉殿に『法師であるが、お前こそ義経を狙える者だ』と、言っていただいてから、私の命は鎌倉殿に捧げている。どうして取り返す事があるだろうか。私に恩情を掛けられるのであれば、ただ首を取ってください」土佐房がこう言うので、「それならば切れ」と、六条河原に引き出して首を切ってしまった。土佐房を誉めない人はいなかったという。

*1:とさぼうきられ

*2:歌舞の名手

*3:参照:巻第一「禿髪

*4:鞍馬山の西南、鞍馬寺貴船神社との間にある谷