平家物語を読む153

クロ

巻第十 千手前*1

 頼朝はすぐに重衡卿に対面すると言った。「そもそも君主の憤りを鎮め、父の恥を清めようと思い立ったからには、平家を滅ぼすのは容易い事だと思っていましたが、こうしてお会いする事になるとは思いもしませんでした。この調子では、屋島の宗盛殿にもお会いする事になりそうです。そもそも、奈良の寺を滅ぼされたのは、故清盛殿の命によってでしょうか。それとも臨機の判断だったのでしょうか。どちらにしても、もってのほかの罪業でありますな」こう言われて、重衡卿は口を開いた。「まず奈良の寺の事は、故清盛公の指図によるものではありません。重衡の愚かな考えによるものでもありません。僧徒の悪行を鎮めるために駆けつけたところ、まったく思いがけない事に寺院が滅亡するに至り、どうする事もできませんでした。昔は源平が競って、皇室をお守りしていましたが、近頃、源氏に運が傾いた事は、今さら改めて言うまでもありません。当家は、保元・平治の乱よりこれまでに、何度も朝敵を平定し、その褒美は身に余る程で、恐れ多くも天皇外戚として、一族の昇進は六十人以上、この二十年程の繁栄は言葉では言い表す事もできません。今また、平家の運が尽きたので、重衡は捕らわれて、ここまでやって来ました。それについて思えば、『帝王の敵を討った者は、七代まで朝恩が失せる事はない』というのは、とんでもない嘘でありました。実際に故清盛公は、君主のために命をかけた事が何度もありました。けれども、わずかその身一代が指揮を取っただけで、子孫はこのような状況になってしまうとは。よって運が尽き、都を出て後は、屍を山野にさらし、名を西の海の波に流す事になると思っていました。ここまでやって来る事になるとは、思いもしませんでした。自分が前世で行った悪業がただ悔やまれるばかりです。ただし、『殷の湯王は夏の牢獄に捕らわれ、周の文王*2はゆうり*3に捕らわれた』という文があります。古代においてもこのように名君の誉れ高い王が捕らわれているのですから、この末代において私のような者が捕らわれるのも当然の事です。武士というもの、敵の手にかかって命を失う事は決して恥ではありません。たださっさと首をはねてください」重衡卿はこの後、決して口を開かなかった。これを聞いた梶原景時は「何と立派な大将軍だ」と涙を流した。そこに居合わせた人々も、皆が涙で袖を濡らした。頼朝も「平家をとりわけて私的な敵だと思った事は一度もありません。ただ帝王の命を重んじての事です」と言った。「奈良の寺を滅ぼされた事で、僧徒たちが身柄の引き渡しを求めてくる事もあるかもしれない」と、重衡卿は伊豆国の住人・狩野介宗茂*4に預けられる事になった。こうして次から次へと引き渡されていく様子を見ていると、あの世で現世の罪人が七日毎に十の王の手に引き渡される*5というのも、このようなものかと思われて気の毒であった。
 けれども狩野介は情けのある者で、重衡卿に対してひどく厳しく接するという事もなかった。よく気配りをして世話をし、湯殿を用意するなどして、入浴もさせた。長旅の汗がむさくるしいので、身を清めさせてから処刑にするつもりなのだろうと重衡卿が思っていると、年は二十ほどの色白でとても上品な女房が、鹿の子絞りのひとえものに、藍色の模様を染め付けた衣を腰に巻いて、湯殿の戸を押し開けて入ってきた。すぐに今度は、十四、五ほどの髪のまだ短い少女が、淡い紺地の所々を濃紺に染めたひとえものを着て、小さな盥に櫛を入れて持ってきた。初めの女房は重衡卿の入浴の世話をした。それが済み、帰ろうとした女房が「男などでは無作法だと思われるでしょうから、女の方が差し支えないという事で、お世話させていただきました。頼朝殿は『どんな事でも思われている事を、承ってきなさい』とおっしゃりました」と言った。重衡卿が「このような身になった今、何を望む事があるでしょうか。思っているのは、出家をしたいという事だけです」と言ったので、女房はこの事を頼朝に伝えた。頼朝は「それは思いがけない事だ。この頼朝の私的な敵であるならばともかく、朝敵として預かっている人なのだ。とんでもない」と言った。重衡卿が守護の武士に「今の女房は、優雅な人だなあ。名は何と言うのか」と尋ねると、「あれは手越の長者の娘で、顔も心も言いようがないくらい優雅な者であるからと、ここ二、三年召し使われているのです。名は『千手の前』といいます」と答えた。
 その日の夕方、雨が少し降って、辺りすべてが寂しげであった時、例の女房が琵琶・琴を携えてやって来た。狩野介は重衡卿に酒を勧めた。自身も、家来・従者十人ほどを連れて、席を共にした。千手の前が酌をしたが、少し受けただけで、重衡卿はほとんど興味がない様子なのを見て、狩野介が言った。「既にお聞きになっているかもしれませんが、鎌倉殿は『十分に気配りして、よくよくお慰めしなさい。なおざりにしてそのせいで頼朝に叱責されたからといって、この頼朝を逆恨みするな』とおっしゃりました。宗茂はもともと伊豆国の者でございますので、鎌倉は旅先でございますが、心の及ぶ限り、お世話させていただくつもりです」千手の前には「何なりと歌って、酒をお勧めしなさい」と言ったので、千手の前は酌を置いて、「うす絹の衣でさえも重いというのに、どうしてこんな重い衣を織ったのかと、機織りの女を恨むほどである」*6という詩を一通り朗詠した。これを聞いて重衡卿は「この詩を朗詠する人を、北野天神の主祭神である菅原道真は、一日に三度高く飛来して守ろうと誓いました。けれども、重衡はこの世においては見捨てられたのです。一緒に歌ったからといって、どうなるというのでしょう。罪が軽くなるという事ならば、私も一緒に歌いましょう」と言った。千手の前がすぐに、「十悪を犯した者も阿弥陀仏は極楽浄土へ迎えてくださる」という詩を朗詠して、「極楽を願う人は皆、阿弥陀仏の名を唱えなさい」という当世風の歌を四、五回繰り返し一心に歌うと、その時になって重衡卿はようやく盃を傾けた。千手の前は呼ばれて、狩野介に酌をした。狩野介が飲む時には、一心に琴を弾いた。重衡卿は「この楽曲は普通、『五常*7』と言いますが、重衡にとっては『後生楽*8』と思うのがいいようだ。次は『皇じょう*9』の急の段*10ならぬ『往生』の急の段を弾いてみよう」と戯れを言うと、琵琶を手に取って弦のねじを締めてから、「皇じょう」の急の段を弾き始めた。夜も深まり、心が澄み渡ってくると、音楽に没入する気持ちになってきた。「ああ、思いがけない事であった。東国にもこれ程優雅な人がいたとは。何でもいいからもう一曲、歌ってほしい」と重衡卿が言うので、千手の前はまた、「同じ木陰で雨宿りをするのも、同じ川の水を飲むのも、すべて前世で結ばれた縁によるものである」という白拍子を、とても風流に歌い上げた。重衡卿も「灯火が暗く、虞氏はいく筋もの涙を流した」という詩を朗詠した。昔、漢の高祖と楚の項羽が位を争って、戦を七十二回行ったが、すべて項羽が勝った。それでも結局、項羽が最後に負けた時、「すい」という一日で千里を走る馬に乗って、虞氏という后と共に逃げようとしたが、どうした事か、馬が両足を揃えたまま動かなくなった。項羽は涙を流して、「我が軍勢は既に衰えた。今となっては、逃げる外はない。敵が襲ってくる事はどうという事ではないが、この后と別れる事が何とも悲しい」と、一晩中、嘆き悲しんだ。灯火が少なく辺りが暗いので、虞氏は心細さに涙を流した。夜が更けると、城の四面を包囲した敵の軍勢が一斉に喚声を上げた。この心を橘広相が詩にしたのだが、重衡卿がこの詩を思い出したのは、本当に風雅な事であった。
 そうしているうちに夜も明けたので、武士たちは暇を申し出て立ち去った。千手の前も帰った。その朝、頼朝が持仏堂で法華経を読んでいるところに、千手の前が現れた。頼朝が微笑んで、「昨夜は私も風雅な仲介役をしたものだ」と千手の前に声を掛けると、近くで物書きをしていた斎院の次官・藤原親能*11が「何の事でございますか」と尋ねた。「平家の人々というのは、甲や弓など戦の事以外には余念がなかったとずっと思っていたのですが、あの三位中将の琵琶のばち音、朗詠を一晩中立ち聞きしていたところ、とても優雅な人だとわかったのです」と頼朝は言った。親能が「私も昨夜は伺うはずでしたが、ちょうど病にかかり、伺う事ができませんでした。今後は必ず聞いてみたいものです。平家はもともと、代々に渡って歌人・才人が多いのです。昨年、平家の人々が花に例えられた時、あの三位中将は牡丹の花に例えられていましたよ」と言うと、頼朝は「本当に優雅な人であったのだな」と言った。後々まで、重衡卿の琵琶の撥音・朗詠はめったにない素晴らしいものだったと言い続けたという。千手の前にとっては、返って重衡卿を思慕するきっかけとなったのだろう。その後、重衡卿が奈良へ引き渡されて、切られたと聞くと、すぐに髪を下ろして尼となり、濃い墨色の衣を身にまとう姿に成り果てて、信濃国善光寺*12に入り、重衡卿の後世での往生を祈って、自身も極楽往生したいという予ねてからの思いを願ったと聞く。 

*1:せんじゅのまえ

*2:武王の父

*3:河南省新徳府湯陰県の地名

*4:むねもち

*5:十王経によると、亡者は初七日に秦広王、以後七日毎に初広王・宋帝王五官王閻魔王変成王、四十九日に泰山王、百日に平等王、一周忌に都市王、三周忌に転輪王へ引き渡され、罪を裁かれる

*6:本朝文粋九・菅原道真より

*7:ごじょうらく:雅楽の曲名

*8:ごしょうらく

*9:おうじょう:唐の宰相・王孝傑が西戎(せいじゅう)を討伐しようとして、戦死したのを悼み、中宗が作らせた曲

*10:雅楽は序・破・急の三つの楽章からなる

*11:ちかよし

*12:長野市元善町にある寺