平家物語を読む106

巻第七 木曾山門牒状*1

 義仲は越前国の役所*2に行って、家人・従者を集めると評議を行った。「そもそも義仲は、近江国を通って都へ入ろうとしているので、例によって比叡山延暦寺の僧たちに妨害される事もあるかもしれない。馬で突破する事は簡単だが、平家は最近、仏法をも軽んじて、寺を滅ぼし、僧を殺すという悪行を行っている。よって仏法を守護するために都へ上ろうとしている者が、比叡山が平家に荷担しているからといって、延暦寺の僧たちに向って戦をするなどという事は、平家の仕業と少しも違わず、その二の舞になってしまう。つまり、簡単に見えてなかなか難しい事なのだ。どうしたものか」と義仲が言うと、文書を書く役に就いている大夫房・覚明が言った。「比叡山に、僧たちは三千人います。必ずしも皆が同じ心であるとは限りません。それぞれ心に、思うところがあるでしょう。源氏につくという僧もいるかもしれませんし、平家につくという僧もいるかもしれません。書状を送ってはいかがでしょうか。その返事によって、事の様子がわかるでしょう」これを聞いた義仲は「もっともだ。それでは書状を書け」と言って覚明に書状を書かせると、それを延暦寺へ送った。その内容は以下の通りである。
義仲が平家の悪行をつくづく眺めるに、保元・平治からこれまでの長い間、人臣の礼が失われている。そうであるのに平家に対して、身分の低い人も高い人も両手を組んで礼拝し、僧も俗人もひざまずいて敬意を表す。平家は思い通りに皇位を取り仕切り、好きなだけ国郡を占領している。道理・非理を重んじず、官位高く権勢の盛んな家々の財産を没収し、有罪・無罪を問題とせず、公卿・大臣などを損傷したり殺害したりしている。奪い取った財産をすべて、自分の従者に与え、没収した庄園をむやみやたらと自分の子孫に分配している。何と言っても、治承三年十一月には、後白河法皇を城南の離宮*3に移し、関白を遠くはなれた西海に流した。民衆は口には出さないが目配せをしてこれを非難した。だが、これに留まらず治承四年五月には、後白河法皇の第二皇子である以仁王*4の御所を包囲し、都中を震撼させた。よって以仁王が不当な迫害から逃れようと、密かに園城寺へ入られた時、その命を受け、義仲が馬にむちを当てて駆けつけようと思っていたところ、敵が道をふさぎ、戦に間に合う事ができなかった。近い土地の源氏でさえも間に合わなかったのだから、遠い土地の源氏が間に合うはずがない。しかも園城寺は地形的にも有利ではなかったので、奈良へ向おうとしていた途中、宇治橋*5で戦になった。大将である三位入道・源頼政父子は自らの命を軽んじ義を重んじて、戦での軍功に励んだが、大軍による攻撃をしのぐ事ができずに、その命を宇治川に流し、その屍を岸辺にさらした。源氏の者たちは以仁王の命の趣旨を肝に銘じ、同じ源氏としての悲しみに深く心を痛めた。これにより、東国・北国の源氏それぞれが上洛を企て、平家を滅ぼそうと立ち上がった。義仲は昨年の秋、かねてからの望みを達するために旗を上げ、剣を取った。信州を発った日、越後国の住人・城四郎長茂*6が数万の軍勢を率いて討伐に向う一方で、当国の横田河原にて戦をした。義仲はわずか三千騎ほどで、敵の数万の兵士を破った。その噂が広まり平家の耳に入ると、平家の大将は十万の軍勢を率いて北陸へ向った。越前・越中・加賀の砺波・黒坂・塩坂・篠原以下の城郭にて、戦は数度行われた。陣中で作戦を立てては、たちまちのうちに勝利を収めた。そのような状態なので、討てば必ず敵は降伏し、攻めれば必ず退散する。秋風が芭蕉の葉を破るのに違わず*7、冬の霜が多くの葉を枯らすようなものである。これはひとえに神・仏の助けによるもので、義仲の武略によるものではない。平氏が敗北した上は、都への上洛を企てている。今にも、比叡山の麓を回って都に攻め入るであろう。この時に当たって、密かに危ぶんでいる事がある。そもそも天台の僧たちは平家の味方か、それとも源氏の助成か。もしあの悪徒に加勢するのならば、我々は比叡山に向って戦を行うだろう。もし戦をすれば、瞬く間に比叡山は滅亡するだろう。平氏が天子の御心を苦しめ、仏法を滅ぼしたので、その悪行を鎮めるために起こした義兵によって、今すぐにも三千の僧たちと不慮の戦をしなければならないとは悲しい事だ。医王*8・山王*9にはばかって、進撃が停滞したならば、朝廷の勅命をなおざりにした臣として、武略に傷をつけたという不名誉を残す事になるとは痛ましい。取り乱して進退に迷い、事情を申し上げた次第である。三千の僧たちよ、どうか神のため、仏のため、国のため、君主のために、源氏の味方となって凶徒を攻め討ち、君主の善政による恵みに身を委ねよう。ここに真心を込めて懇願する。義仲、慎んで申し上げる。
 寿永二年六月十日    源義仲

*1:きそさんもんちょうじょう

*2:福井県武生市にあった

*3:鳥羽殿

*4:高倉の宮

*5:京都府宇治市

*6:旧名:助茂

*7:「秋風にあふ芭蕉葉のくだけるるあるにもあらぬ世とは知らずや」藤原教長より

*8:延暦寺根本中堂の本尊薬師如来

*9:日吉山王権現