平家物語を読む79

Whimbrel

巻第五 文学被流*1

 ちょうどその時、後白河法皇の御前では太政大臣藤原師長が琵琶をかき鳴らしながら歌を披露していた。按察*2大納言・源資賢*3卿は拍子を取って風俗・催馬楽*4を、右馬頭・源資時*5と四位侍従・盛定*6は和琴をかきならし当世風の歌をいろいろと歌っていた。このように簾の中はにぎやかで非常に愉快な雰囲気であったため、法皇も付歌*7をなされた。そこに文覚が大声で乱入したので、調子は狂い、拍子もすべて乱れてしまった。「何者だ、その首を討て」との命令があったので、血気盛んな若者たちが我も我もと前へ出る中、判官・平資行*8という者が走り出て「何という事を言うか。さっさと退出しろ」と言った。が、文覚は「高雄山の神護寺に庄園を一か所、寄進いただけるまでは決して退出しません」と言って、びくともしない。よってその首と突こうとしたが、勧進帳を持ち直した文覚に烏帽子をはたと打ち落とされ、こぶしに胸を突かれて仰向けに倒れてしまった。資行は烏帽子が脱げて頭がむき出しになり、恥知らずにも大床の上へと逃げた。その後、文覚は懐から柄を馬の尾で巻いた氷のように鋭い刀を抜いて、近寄る者を捕まえようと待ち構えた。左手には勧進帳、右手には抜いた刀を持って走り回るとは、予想もしなかった事件であり、その姿はまるで両手に刀を持っているかのように見える。公卿・殿上人も「これはどうした事だ」と騒ぐので、管絃の演奏会はもはや秩序を失っていた。御所の中も大騒ぎな事この上ない。その頃は武者所に勤めていた信濃国の住人・安藤右宗が「何事だ」と、太刀を抜いて飛び出した。喜んでかかってくる文覚を斬ってはまずいと思ったのだろう、太刀を持ち直して、その背で文覚の刀を持っている腕を激しく打った。腕を打たれて文覚が少しひるんだところを見計らって、太刀を捨てると「してやったぞ」と文覚を押さえ込んだ。押さえ込まれながらも文覚は安藤武者の右腕を突き、安藤武者は突かれながらも組んでいるその手をしめた。互いに甲乙つけがたいほどの剛力であるので、上になったり下になったりしながら転がっている。得意そうな顔つきで上下になりながら、文覚は動いているところすべてを打って痛めつけた。それでも物ともせず、ますます罵詈雑言を浴びせる。門の外へ引っ張り出された文覚は、検非違使庁の下役人に渡された。受け取った下役人は拘引する。拘引されながらも、文覚は御所の方をにらんで大声で「寄進いただけないのはともかくとして、これほど文覚を辛い目にあわせるとは、思い知らせてやる。衆生が生死輪廻する三界*9はすべてが苦悩にあふれている。王宮といえども、その難から逃れる事はできない。前世に十の善業を行った果報によって帝位にある事を誇っておられるとしても、冥土への旅に出た後は、牛頭馬頭*10の呵責から逃れる事はできないぞ」と、激しい怒りをあらわにしながら言った。「この法師は不届きである」という事で、すぐに文覚の入獄が決められた。資行は烏帽子を打ち落とされた事が恥ずかしく、しばらくの間は出勤しなかった。安藤武者は文覚を押さえ込んだ褒美として、即座に武者所の長を飛び越えて右馬允に任じられた。ところがその頃、美福門院*11がお亡くなりになって大赦があったので、文覚はすぐに許される運びとなった。しばらくはどこか別の場所で修行すべきであるのに、文覚はまたすぐに勧進帳をさげて歩き始めた。それならそれで普通のやり方でやればいいものを、「ああこの世の中は、今すぐにも乱れて、君も臣も皆が滅びるだろう」などと不穏な事ばかり言っているので、「この法師を都に置いておく訳にはいかない、流罪にせよ」と、伊豆国へ流される事になった。
 当時伊豆守であった三位入道・源頼政の息子である仲綱が担当になり、東海道から舟で伊豆国へ向かうとして、伊勢国へ連れて行かれた文覚は検非違使庁の下役人を三人つけられた。この役人たちが「庁の下役のしきたりとして、このような場合は、情実によって特別扱いする事もありえる。どうです御坊さん、これほどの事になって遠国へ流されるというのに、知人はお持ちではないのか。土産物や食料などを請求しなさい」と言う。すると文覚は「私はそのような事を頼める気心の知れた知人は持っていないが、東山の辺りにならいる。それでは手紙を送ろう」言うので、下役人はえたいの知れない粗末な紙を探してきて文覚に与えた。「このような紙にものが書けるか」と、文覚は投げ返す。それならばと、下役人は厚手の鳥の子紙を探してきて与えた。文覚は笑って、「この法師はものを書かないぞ。お前たちが自分で書け」と言う。「『文覚は高雄山の神護寺を建立・供養しようとしていたが、その途中でこのような仕打ちにあい、所願を成就できないのはともかくとして、禁獄された上に伊豆国へ流される事となった。長い旅路であるので、土産物や食料などが必要です。この使者に渡してください』と書け」と言うので、言われるままに書き上げ、「さて誰殿へと書けばいいのか」と聞くと、「清水の観音房*12へと書け」と答える。「これは、庁の下役を欺いたな」と言うと、「そんな事を言っても、文覚は観音だけを深く頼りにしているのだ。それ以外に誰に頼めると言うのか」と言った。伊勢国安濃津*13から舟に乗って下っていたが、遠州灘*14辺りで急に激しい風が吹き、大きな波が立って舟は今にも転覆しようとしていた。水夫・舵手たちが何とかしようとしたが、波風はますます荒れるばかりである。ある者は観世音菩薩の名を唱え始め、またある者は臨終の際に唱える十篇の念仏に及んだ。けれども文覚はこれを物ともせず、高いびきをかいて寝ていたが、何かを思ったのだろう、いよいよ最後と思われた時、がばっと起き上がると舟の舳先に立ち、沖の方をにらむと大声で「竜王*15はいるか、竜王はいるか」と呼んだ。「どうしてこれほどの大願を起こした僧が乗っている舟を、傷つけ損なおうとするのか。今すぐにも天罰を受けるであろう」そのせいか、波風はほどなく鎮まり、舟は伊豆国へと着いたのだった。文覚は京を出た日に、神仏に誓いを立てた事がある。「私が都に帰り、高雄山の神護寺を建立・供養できるのならば、それまでに死ぬ事はないだろう。その願いが虚しいものであるなら、途中で死ぬだろう」京から伊豆までの間、追い風がなかったので舟は浦や島を伝って進み、その三十一日間、文覚はひたすら断食に徹していた。それでも気力は少しも衰えず、勤めて仏道修行を続けていた。本当に尋常な人とは思えない事が多かった。

*1:もんがくながされ

*2:あぜち:諸国行政を監察した官で、後に陸奥・出羽の二国を残し、大・中納言の兼任する名義だけの官となった

*3:すけかた:宇多源氏

*4:ふうぞく・さいばら:平安時代に流行した歌謡

*5:すけとき:資賢の子

*6:もりさだ:藤原道綱の末裔

*7:つけうた:主唱者の句頭の独唱に続けて、第二句以降を全員が同音で斉唱する

*8:すけゆき

*9:欲界・色界・無色界

*10:ごずめず:地獄の獄卒で、体は人間で頭が牛・馬のもの

*11:鳥羽天皇の后の得子

*12:清水寺の本尊・十一面観音を戯れに人に見立てた

*13:三重県津市、東国への航路として知られた

*14:静岡県御前崎から愛知県の伊良湖岬に及ぶ海域

*15:海中に住み、仏法の守護神で雨を司る