平家物語を読む78

巻第五 勧進帳

 文覚はその後、高雄山という山の奥で修行をしながら暮らしていた。この高雄山に、神護寺という山寺がある。もともとは昔、称徳天皇*1の頃、和気清麻呂が建立した寺であった。長い間、修繕される事がなかったので、春は霞が立ちこめ、秋は霧にまぎれ、扉は風によって倒れて落葉の下で朽ち、甍は雨露によって損なわれ、仏壇までもあらわになっていた。寺を取り仕切る僧もいないので、まれに訪れる者は月や日の光ばかりである。文覚はどうにかしてこの寺を修繕しようという願いを立てて、勧進帳*2を掲げて諸方の檀家を回っていた。ある時、後白河法皇の御所である法住寺殿を訪れ、財物の寄進を勧めたが、ちょうど管絃の演奏会に当たり、話しを聞いてもらう事もできない。文覚は生まれつき、大胆不敵な事この上ない修行者である。それが無作法であるとは考えず、ただ申し入れをと思い、無遠慮に中庭の中へ乱入し、大声で「仏のように広大な慈悲を備えた法皇でいらっしゃるのなら、どうしてお聞き入れいただけない事がありましょうか」と言うと、勧進帳を広げて声高らかに読み始めた。
沙弥*3・文覚、敬って申し上げます。ことに身分の上下や僧俗の区別なく援助をいただき、高雄山の霊地に院を一つ建立し、現世・来世とも安楽に暮らす事ができるという大きな利益を勤行しようというための勧進でございます。
そもそもよく考えてみると、一切存在の真実の姿は常住不変であります。衆生と仏と、別の名で呼び分けてはいますが、真理が覆い隠す妄念の雲が、過去・現在・未来に渡る一切衆生の輪廻の相という峰にたなびいてからこれまでに、衆生が本来備え持つ蓮のように清らかな仏心はまるでかすかな月の光のよう、未だ三つの煩悩と四つの慢心が満ち溢れる空には現れません。かなしい事には、仏は既に入滅して、生死を経験し変転する人間の世界は暗くはっきりしていません。ただ色情に溺れ、酒にふけるばかりであります。誰が狂った象や飛び跳ねる猿のように本能のまま行動する事を禁制できるでしょうか。いたずらに人を非難し、法を批判していて、どうして閻魔庁の鬼の呵責から逃れる事ができましょうか。ここにおります文覚はたまたま浮世の塵を打ち払って僧の衣を身にまとっていますが、今もまだ心の中で勢いを持つ悪行が日夜、形を成し、後にいい実を結ぶ苗のような立派な言葉は人に喜ばれずに毎日、廃れていきます。再び三悪道の一つである地獄に帰って、長く四生の苦輪*4を巡るという事は、何と痛ましい事でありましょうか。つきましては釈迦牟尼の経文一千万巻には、各巻ごとに成仏のための因縁が説かれています。仏が方便によって説いた真実の教法は、一つとして悟りの境地に達しないという事はありません。そのような訳で、文覚はこの世を無常であるとする教えを心に念じ、身分の上下に関わりなく僧俗に勧めて、上品蓮台*5に足を運び、仏の霊場を建てようとしています。
そもそも高雄は、山はうずたかく霊鷲山*6の梢のようであり、谷は静かで商山洞*7のように苔むしています。岩間の泉が音をたてて流れ、峰では猿が叫びながら枝を渡っています。人里から遠いので騒がしさや埃っぽさはなく、周囲の環境がよいため信仰に専念する事ができます。地形が優れている事は、仏をあがめるのに適しています。寄進は多くではありませんので、誰に援助できない事がありましょうか。風の噂では、子供が戯れに砂で仏塔を作っても、その功徳で成仏できるとも聞きます。それならばどうして、一紙半銭のわずかな額の寄進に功徳がない事がありましょうか。願わくは、建立が成就し、天子の御所とその治世が安泰にとの願いが円満に成就し、都であろうと田舎であろうと、親しい者にも疎遠な者にも、尭舜*8の治世のような太平の世が長い期間続きますよう。ことに死者の霊魂が死期の前後や身分の上下に関わらず速やかに真の浄土に往生し、必ずや三種の仏身*9に無量の功徳が集まりますよう。勧進修行の趣旨は、以上の通りでございます。
 治承三年三月  文覚

*1:第48代の天皇

*2:寺社の建立・修繕などのため、金品の寄進を勧めるための文書

*3:しゃみ:出家して未だ正式の僧になっていない男の僧

*4:すべての生物が卵生・胎生・湿生・化生の四つの生により生死の世界を輪廻するとされる

*5:極楽往生の九品の蓮華座のうち、最上位の三品の総称

*6:釈迦が説法した中インド・マガダ国野山

*7:漢の四皓が隠棲した中国陜西省の山

*8:中国古代の伝説上の帝王である、尭と舜

*9:法身・報身・応身