Wood Duck

 母が洋裁学校の出でなので、幼い頃、私たち姉妹の服はTシャツなどを除けば母の作ったものがほとんどだった。今思えば、安物の既製品とは違い、縫い目も裏地もしっかりとしており、布地も上質なものばかりである。そして何よりも、母が時間をさいて作ってくれたものだ。だが、幼い私にそんなことがわかるはずもない。
 私は、その「色」が好きになれなかった。母の好みから、大抵が茶か濃い緑、またはグレーといったモノトーンに近いものだったからだ。友達が着ている既製品の赤いスカートがうらやましかった。また、冬ならば布地はツイードコーデュロイ、これらは肌がチクチクしたりゴワゴワとして動きにくかったりした。
 このように、母の作ってくれた服に対して当時の私は何かしら不満を持っていたように思う。たまに親戚の伯母から既製品の女の子らしい色の服をもらった時や、いとこから既製服のお下がりをもらった時には、嬉々としてそれを着ていたのを覚えている。
 私が小学校を卒業する頃になると、既製品の服でも安価で素材のいいものが出回り始め、街へ出た母がたまにそういう服を買ってくるようになった。口にこそしなかったが私は飛び上がるほど嬉しかった。
 こうして姉と私が成長するにつれ、母が洋裁をする頻度は減っていき、姉や私が自分たちで服を選ぶようになる頃には、母がミシンの前に座ることもなくなっていた。
 成人してから何度か、子供の頃の服の色について、母と話したことがある。母は笑いながら「何も言わないから、気にしているとは知らなかった。ごめんね」と言うが、よく聞けば母の好みとはいえ、私に似合う色を選んでいたという。アルバムの中の幼い私は、男の子のような短い髪に日焼けした黒い顔で、にこりともせずにこちらをにらんでいる。こんな子に赤い服やリボンのついた服を着せたら、あまりに不釣合いだ。納得した。
 とはいえ、子供の頃の影響とは大きいものである。私の着る服は黒や茶などモノトーンがほとんど、明るい色には結局、手を出せないままだ。明るい色合いの服を爽やかに着こなしている女性を見かけると、憧れに近い気持ちを抱くことも少なくない。
 ところで、野鳥を観察していると、中には赤や青、黄などの派手なものや、それらを部分的に取り入れた鮮やかな色合いのものもいる。こうした美しい羽の鳥には思わず目を奪われるが、私がどことなく好感を覚えるのはCarolina Wren(チャバラミソサザイ)やWood Duck(アメリオシドリ)のメスといった地味な鳥ばかり。これもやはり、母から受け継いだ色彩感覚の投影なのだろうか。



*画像の鳥は、Wood Duck(アメリオシドリ)のメスです