平家物語を読む67

巻第四 若宮出家

 平家の人々は、高倉の宮及び入道・源頼政の一族、三井寺の僧たちと、全部で五百人以上の首を太刀や長刀に貫いて掲げ、夕方に差し掛かった頃、六波羅へ帰ってきた。兵士たちが大声でわめき立てる様子は、恐ろしいなどという言葉では言い表す事ができない。入道・頼政の首は、渡辺唱が取って宇治川の深い所に沈めたので見当たらなかったが、息子たちの首は皆、あちこちから探し出された。だが、平素から高倉の宮の御所には寄り付く者もなかったので、高倉の宮の首を確認できる人はいない。前年、典薬頭*1・和気定成が高倉の宮の治療のために御所に呼ばれた事があったので、それでもいいからと呼びつけたが、現在病気中であると言って尋ねてはこなかった。よって、高倉の宮に常時仕えていた女房を探して、これを六波羅へ連れてきた。高倉の宮に非常に大事にされ、御子を産んだ最愛の女房であったので、そのお顔を見間違えるはずがないだろう。一目見ただけで、袖を顔に押し当てて涙を流したので、高倉の宮の首と確認されたのだった。
 高倉の宮は関係した女性たちすべての所に、御子が大勢いらっしゃった。八条の女院*2の御所には、伊予守・高階盛章の娘である三位局の女房が産んだ、七歳の若君と五歳の姫君がいらっしゃった。清盛公は弟の権中納言・頼盛卿*3を、八条の女院へ送った。「高倉の宮の御子は大勢いらっしゃいます。姫君の事は問題に及びませんが、若君はすぐにお引渡しください」と頼盛卿が伝えると、女院は「この事件が発覚した朝、乳母たちが幼稚な考えからどこかへお連れしてしまったので、この御所にはいらっしゃいません」と返事をした。仕方なく頼盛卿がこの事を清盛公に伝えると、清盛公は「その御所以外のどこにいらっしゃるというのか。それならば、武士をやって探させよ」と言った。この中納言・頼盛卿は女院の乳母の娘である宰相殿という女房を連れて、よく八条の御所にも通っていたので、女院はこれまで頼盛卿の事を近しく感じていたが、今回、高倉の宮の御子の事で尋ねて来た頼盛卿に対しては、まったく別人のように疎ましく思った。若宮が「これほど大事になりました以上、逃れる事はできないでしょう。早く私を六波羅にお引渡しください」と言うと、女院は涙をはらはらと流して言った。「普通の七つ、八つの子供は、まだ分別などないものです。それなのに、自分のために大事になった事を辛く思って、このような事を言うとは何とかわいそうなことでしょう。この六、七年、手塩にかけたのに、このような辛い目にあうとは」頼盛卿が若宮を引き渡すようにと、再び伝えると、女院は仕方なく若宮を差し出す事にした。今生の別れであるので、母である三位局はどれほど名残惜しかった事だろう。泣きながら、若宮に衣を着せ、髪を撫でつけてから引き渡したが、ただただ夢のような思いがした。女院を始めとして、高級女官に仕える女房、小間使いの少女まで、涙を流さない者はいなかった。頼盛卿は、受け取った若宮を車に乗せて、六波羅へ連れて行った。
 この若宮と対面した宗盛卿が清盛公の所へ行って「どういう訳でしょうか、この宮と会いましたところ、余りにいとおしく思われるのです。ぜひとも、この宮の命を私に預けてくださいませんか」と言うと、清盛公は「それならば、すぐに出家させなさい」と言った。この事を宗盛卿が八条の女院に伝えると、女院は「何の異存もございません。今すぐに」と言ったので、若宮は僧侶になられて、仁和寺の住職の弟子となられた。後の、東寺の一の長者・安井の宮の僧正道尊*4というのは、この若宮の事である。

*1:てんやくのかみ:宮内省に属し、医療・薬園の事を司る典薬寮の長官

*2:鳥羽天皇の第三皇女で高倉の宮の養母、八条の北に御所があった

*3:池の中納言

*4:東寺の寺務を総括する僧で、四人の長者の首席