平家物語を読む49

巻第三 金渡*1

 また、大臣・重盛公は「我が国では、現世において来世に善い果報をもたらすような大きな善行を積んだとしても、子孫が途切れる事なく弔ってくれる事は難しい。他国に対しても善行を積み、後世を弔ってもらえたら」と、安元の頃、九州から妙典という名の船頭を呼び寄せ、人々を排除して対面した。用意させた金三千五百両を前に、「お前はとても正直者であるというので、五百両をお前に与える。三千両を宋朝へ渡しなさい。そのうち千両は育王山・阿育王寺*2の僧に配分し、二千両は孝宗帝*3へ差し上げ、その分の田地を育王山へ寄進するように、田地を贈られた育王山は、私の後世を弔うようにと伝えなさい」と言った。妙典はこれを承知し、はるか波路を越えて宋国へと渡った。阿育王寺の居室で高僧・徳光に会い、事の次第を伝えると、徳光はとても喜び、感心した。千両を僧に配分し、二千両を皇帝へ差し上げ、重盛公の言った事の詳細を伝えると、孝宗帝は非常に感心し、五百町分の田地を育王山へ寄進した。よって、日本の大臣・平重盛公の「来世は極楽浄土に生まれるように」との祈りは、今も絶えずに続いているという。

*1:かねわたし

*2:いおうさん:中国せっこう省にある禅宗五山の一つ

*3:南宋第2代皇帝