平家物語を読む47

巻第三 無文*1

 この大臣・重盛公は生まれつき特別な能力を備えた人で、未来も事をも前もって悟ることができたのであろうか、特に去年の四月七日に見た夢は不思議なものだった。その夢とは、どこかもわからぬ浜辺の道を延々と歩いていると、道の側に大きな鳥居が立っていた。「あれはどこの鳥居だ」と聞くと、「春日大明神*2の鳥居です」との答えがあった。たくさんの人が集まっている。その中から、法師の首が一つ掲げられた。「あの首は誰のものだ」と聞くと、「これは平家の太政入道殿です。悪行が度を越したので、当社の大明神が召し取らせたのです」と答えた。そこで目が覚めた重盛公は、平家は保元・平治から今まで、何度も国の敵を征し、それにより身に余る位や賞を受け取った。恐れ多くも天皇の母方の親戚として、一族の六十人以上が昇進し、この二十年余りの間の繁栄ぶりは言い尽せない程であった。だが、父・清盛公の悪行が度を越したせいで、平家一門の運命が尽きようとしているのだ、と過去と未来の事に思いを馳せて、涙を流した。
 ちょうどその時、戸をたたく者があった。「誰だ、あの者の言う事を聞いてこい」と命じると、「瀬尾太郎兼康でございます」と応対した者が伝えた。「それで何の用だ」と聞くと、「ただ今、奇妙な事がございまして、夜が明けるのを待てずに瀬尾太郎兼康がやって参りました。二人だけでお話ししたいそうです」と言う。重盛公は人々に席をはずさせて、瀬尾太郎兼康と対面した。そこで、兼康が見た夢の事を始めから終わりまで詳しく話すと、それは重盛公が見た夢と少しも違わない。その事によって、重盛公は兼康を、霊界の事に心を通わせる事ができる者だと感心した。
 朝になり、嫡男の少将・維盛が後白河院の御所へ向かおうとしているところを、重盛公が呼び止めた。「人の親の身として、このような事を言うのは極めておこがましいが、そなたは人の子の中では優れているようだ。ただ私は、この世の中がどのような状況になるのかと、心細く思っている。貞能はいないか。少将に酒を勧めよ」そう重盛公が言うと、貞能がお酌にやって来た。「この盃はまず、少将に取らせたいが、親より先にはよもや飲まないだろうから、重盛がまず取ってから少将に渡そう」と、重盛公は三度飲んでから、維盛に盃を渡した。維盛が三度の酌を受ける時、「どうだ貞能、贈り物を」と重盛公が言うと、貞能はかしこまって錦の袋に入れた太刀を取り出した。維盛が、ああこれは家に伝わる小烏*3という太刀ではないだろうかと、とても嬉しく思って見てみると、そうではなく、大臣葬の時に用いる無紋の太刀であった。維盛は顔色を変えて、非常に不吉なもの見るようにしてそれを見ている。重盛公は涙をはらはらと流して、「いいか少将、それは貞能の過ちではない。なぜならその太刀は、大臣葬の時に用いる無紋の太刀なのだ。清盛公に万一の事があった時は、重盛が葬列のお供をしようと思って持っていたものだが、先立つ事になったのでそなたに渡すのだ」と言った。維盛はこれを聞いて、何も答える事ができずに涙を流し、その日は出勤もせずに衣をかぶり伏してしまった。その後、重盛公は熊野へ向かい、都に戻ってから病にかかり、時を置かずに亡くなった。この時になって維盛は、そういうことだったのかと納得したのであった。

*1:むもん

*2:奈良市にある春日神社で、藤原氏氏神

*3:こがらす:平家重代の宝刀で、目貫に烏が造作されているという