平家物語を読む44

Eastern Bluebird

巻第三 僧都死去

 有王の訪問を現実の事を認めた俊寛は「去年、少将と康頼を迎えに都から使者が来た時も、私の身内からの手紙はなかった。こうしてお前がここに来ると聞いて、身内の者たちは何とも言わなかったか」と聞いた。有王は涙を流し、何も言おうとはしない。しばらくして顔を上げ、涙を押さえながら言った。「あなたが西八条へ向かわれてからすぐに役人がやって来て、身内の方々を捕らえ、謀反について追及し、殺してしまいました。北の方は幼い子を隠すのに苦労し、結局、鞍馬の奥に身を隠されました。私は時々そこへ行って、身のまわりのお世話をしておりました。皆がこの上ない嘆きの中にいましたが、特に幼い子は余りに恋しさがつのり、私が行く度に『有王、鬼界が島とかいう所へ、連れて行ってくれ』とだだをこねられましたが、去年の二月に疱瘡が原因で亡くなられました。北の方は、幼子を失った事、あなたの流罪の事と、非常に嘆き沈まれて、日に日に体力も気力も衰え、去年の三月二日に亡くなられました。今は姫御前だけが奈良の姑御前のもとにいらっしゃいます。お預かりした手紙がここにあります」有王に渡された手紙を開いて見ると、そこには有王が今言ったような事が書かれていた。手紙の終わりの方には「どうして流された三人のうち、二人は連れ戻されたのに、あなたは戻られないのですか。身分が高くても低くても、女の身とは辛いものです。私が男であったなら、あなたのおいでになる島へも、何とかして行くものを。この有王と共に、すぐに戻ってきてください」と書いてあった。俊寛はこの手紙を顔に押し当てて、何も言わずに黙っていた。しばらくして「有王よ、これを見てくれ。この子の手紙の書き方の何と幼い事か。お前と共にすぐに戻って来いと書かれているのが悲しい。思い通りになる身の上であったなら、どうしてこのような島で三年もの年月を過ごすというのか。今年で十二歳になるはずだが、これ程幼いと誰かの妻になり、宮仕えして自分の暮らしを立てる事も難しいぞ」と言って泣いた。有王は、たとえ親の心が闇の中にあったとしても、子を思う道に迷う事はないという言葉*1が身にしみてわかった。「この島へ流されて後、暦もないので月日もわからない。自然に花が散ったり、葉が落ちたりするのを見て、春秋を知り、蝉が鳴いて麦秋が終わった事を告げると夏が来たのだと思い、雪が積もるのを見て冬が来たのを知る。月の満ち欠けを見て三十日が巡るのを知り、指折り数えてあの幼子も今年は六歳になるのだなと思っていたが、もう先に死んでしまっていたとは。西八条へ向かう時、あの子が自分も行くと言ってきかないのを、すぐに帰ってくるからとなだめて出てきた事が昨日の事のように思い出される。あれが最後の別れだとわかっていたら、もっと長く見ていたものを。親と子の縁も夫婦の縁も、皆、この世だけの約束ではなく、前世からの因縁だ。それであるのに、子や妻が先に死んだのをこれまで、夢にも幻にも知らなかった。人目もはばからず、どうにかして生き永らえてきたのも、妻や子にもう一度会いたいと思っての事だった。姫の事だけが気がかりだが、命ある身の上であるから、嘆きながらも何とかして暮らしていくだろう。こうしてむやみに生き永らえて自分自身に辛い目を見せるのは、自分の事でありながら情け知らずな事だ」俊寛はそう言って、もともとたまにしか取らなかった食事をやめ、ただひたすらに弥陀の名号を唱えて、心を乱さずに死に臨み、仏の迎えを祈った。有王が島に渡って二十三日目、俊寛はその庵の中でついに亡くなった。年は三十七だったと聞く。有王は亡骸にしがみつき、天を仰ぎ地に伏して嘆き悲しんだが、どうにもならなかった。気が済むまで泣いてから「すぐにでも後世へお供するべきですが、この世にいらっしゃるのは姫御前だけで、冥福をお祈りする人がいません。もう少し生き延びて、死後の冥福をお祈りいたします」と、庵を壊して亡骸の上に積み重ね、その上を松の枯れ枝や葦の枯葉で覆い、亡骸を荼毘に付した。そして白骨を拾って首に掛け、再び商人の船に乗り九州へと渡った。
 有王はそこから急いで都へ上り、俊寛の娘の姫御前がいる所へ行って、これまでの事を初めから事細かに伝えた。「手紙をご覧になってからは益々、思いが募られたようです。例の島には硯も紙もないので、お返事を書く事もままなりませんでした。心の内に抱かれた姫御前への思いは、伝えられる事のないまま虚しく消えてしまいました。今ではもう、生まれ変わって多くの世を経て、何度生死を繰り返しても、お声を聞き、お姿を見る事はできません」そう言うと、姫御前は倒れ伏して、声も抑えずに泣いた。その後、十二歳で尼になり、奈良の法華寺に勤め、父母の冥福を祈ったというから悲しい事である。有王は俊寛の遺骨を首に掛けて高野山に上り、それを奥院に納めた。そのまま蓮花谷*2で法師になり、全国を巡って修行し、主人の冥福を祈った。こうして人の思いや嘆きが積み重なっていく。一体、平家の末はどうなるのであろうか。

*1:後撰集の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどいぬるかな」による

*2:れんげだに:高野山の奥院の入口にある谷で、信西の子が開いた僧坊集団があり、当時、隠遁者が多く住んでいた