平家物語を読む32

巻第二 善光寺炎上

 その頃、治承三年の三月、長野の善光寺が火事で燃えたとの噂が流れた。ここの如来というのは、昔、天竺*1の舎衛国*2で五種の悪病がはやり、多くの人々が亡くなった時、月蓋*3という長者が竜宮城から閻浮壇金*4を請い求め、釈迦・目連*5・月蓋が心を一つにして作り上げた一尺二寸*6阿弥陀如来と脇侍の観世音菩薩・勢至菩薩の三尊で、閻浮提*7で第一の霊像である。釈迦が死去した後、天竺に五百年以上とどまり、仏教が東方へ次第に流布するのに従い、朝鮮の百済国へ移された。その千年後、欽明天皇*8の時に百済国の聖明王からその仏像が日本へ送られた。摂津国の難波の浦*9で、常に金色の光を放っていたので、そのことから年号を金光*10と定めた。金光三年三月上旬、信濃国の住人で本太善光という者が都へ行った際、その如来像に出会った。すぐに心が引かれて、昼は善光が如来を背負い、夜は如来に善光が背負われ、信濃国へ向かい、如来像は水内の郡*11に安置された。それから年月は既に五百八十年以上経ったが、火事は初めての事と思われる。「王法が尽きる時には、仏法がまず滅びる」と言う。そうであるので「あれ程尊かった霊寺・霊山が多く滅びてしまったのは、平家が滅びる前ぶれだろう」と人々は言った。

*1:インド

*2:しゃえこく:実際は、「毘舎離国」が正しい

*3:がっかい

*4:えんぶだごん:須弥山の南方にあるという島・閻浮提の大樹林を流れる河に産するという砂金で、最も高貴な金とされる

*5:釈迦の十大弟子の一人

*6:およそ、36センチメートル

*7:えんぶだい

*8:第29代の天皇

*9:百済からの仏像を物部氏が難波の堀江に投棄したことが、日本書紀に見られる

*10:こんこう

*11:現長野県上水内郡下水内郡