書くということ

人は自分の書いた文章に責任がある。読み返した自分が目をそむけてしまうなら、それは自分に対する嫌悪だ。
文章は人を映す鏡だ。たとえ未熟な作品でも、書き手が真剣ならばその真剣さがにじみ出し人の心を打つだろう。逆にどんなに技巧をこらしていても、真剣に書かれていなければ読み手の琴線には触れない。媚びたもの、名声がほしいだけのもの、はやりにのっただけのもの。どんなに巧みに隠そうとしても、不純な動機はあちこちで顔を見せる。

文芸の道は人が一生を賭して余りある豊富な真実の道のひとつだ。
(「マルクスの悟達」小林秀雄初期文芸論集 (岩波文庫)より)

何を書くか、なぜ書くか。「書くこと」から結局はなれることのできなかった者ならば繰り返しこう悩んだことがあるだろう。
この一文に出会ったとき、私は目の前の霧が晴れたように感じた。
自分のために書けばいいのだ。それならできると思った。