焚火

誰にでも思い出すと心がふっと温かくなる出来事が一つや二つはあることと思う。特別なことがあったわけでもないのに、静かに輝きを保っている思い出。
志賀直哉の小品「焚火」(小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)より)はそういう「思い出」によく似ている。私の好きなのものの一つだ。
中学生のころだったか、教科書に載っていた「城の崎にて」をひどく退屈に感じたものだが、近年読み返すとこのときの作者の心持ちが面白いほど理解できた。今ではこれも好きなものの一つになった。

「濁った頭」は夢からのヒントと神経衰弱の経験から作り上げた小説である。若い頃の事で、こういう病的な刺戟の強いものを書くと如何にも仕事をしたような気がした。

これは創作余談(志賀直哉随筆集 (岩波文庫)より)の中で「濁った頭」という小品について志賀直哉が述べたことだが、実に言い得ていると思った。
若いことは苦しいことである。
今日もなにもなかった。翌朝の米を洗いながらそう一日を振り返る就寝前のひとときを、幸せだと感じるようになった。