銀の匙

中勘助の「銀の匙」の後編で、主人公は折り合いが悪い兄に無理矢理連れて行かれた釣りの帰り道、星を「お星様」と言うと、「ばか。星っていえ」とどなられる。その後に続く文。

あわれな人よ。なにかの縁あって地獄の道づれとなったこの人を にいさん と呼ぶように、子供の憧憬が空をめぐる冷たい石を お星さん と呼ぶのがそんなに悪いことであったろうか。−−銀の匙 (岩波文庫)より

銀の匙」は物語としてももちろん優れているが、読んでいるとところどころで感傷に出会う。その度にうろたえる。あらゆることに感傷的だった幼い頃の自分の心持ちと重なってしまうからだろう。
本当のところ、もう「銀の匙」は必要ないと思っている。だが、引越しごとに処分されていく本が多いなかで、「銀の匙」は今も私の本棚にある。もはや誰にも語りはしないが消すこともできない自分の過去に、「銀の匙」の存在は似ているのかもしれない。

ところで、中勘助は決して感傷的な作家ではない。それは「犬」などの他の作品を読めば分かることだろう。犬―他一篇 (岩波文庫)
銀の匙」では、中勘助の希有な才能が子どもの感情をそれだけ正確に表現した、というだけだ。