美しき町

明暗

 高野文子の「美しき町*1」は、工場の社宅アパートに暮らす若い夫婦の物語である。
 下世話好きな隣人は、同年代の二人がそういうものに興味がないことが面白くない。嫌がらせの気持ちからか、「作成を頼んでいた組合の名簿が、明日までに必要になった」と無理を言う。
 すでに時刻は夕食時である。「思いつきでいじわる言ってるのよ」と言う妻を、夫は静かにたしなめる。「いいんだ」「何も考えずにやってしまうんだ」
 夕食後、二人は黙々とガリ版を刷り……明け方にようやく最後の一枚が刷りあがった。まだ暗い外の景色を眺めながら、二人は温めた牛乳を飲む。
 妻が夫を信頼し、黙ってその言葉に従う姿を見ていると、父の決断には四の五の言わずに従い、大事なことはまず父に相談しろと常に言っていた母の姿が、今さらながら思い浮かんだ。
 どちらかと言うと私は、母のような生き方をどこかで軽蔑し、すべてを自分一人で決断してきた方だった。だがそのせいで、自分以外の人間をなかなか信頼することのできない高慢な人間になってしまっていたのかもしれない。夫と二人で暮らす中で、気付かされることは多い。
 自分の意見を主張するのではなく、夫を信頼して、夫の意見を尊重することの大切さを思う。「美しき町」は私にとって、そういう物語でもある。

*1:棒がいっぽん (Mag comics)」に収録されています