椿の花

House Finch

 アメリカに暮らして一年半になる。四季を一巡り経験した。日本と同じく四季があること、その四季に応じた花や鳥が姿を見せてくれることもあって、特に寂しく感ずることはなかった。
 夏には蝉の声、秋は紅葉、冬は時に雪。春になれば、約百年前に日本から持ち込まれたと言う桜の花も、アメリカの街を彩るのに一役買っている。
 逆に、こちら原産の花水木が日本でも春の象徴となりつつあるようだ。だが、やはり太古から日本の春を彩ってきた花には適わないのではないだろうか。
 そんなことを思ったのは、ふと前の春もこの春も、椿の花を見ることはなかったなあと気付いたのがきっかけだった。椿は、子供のころからいつも私の身近にあった。
 家のそばを流れる川を遊び場にしていたころ、十メートル近い落差がある川原までの崖を木の幹につかまりながら毎日のように下りた。あるとき、通り慣れているはずの林の中で真っ赤な花を体全体につける大きな木が目に飛び込んできた。私の身長の二倍はある立派な椿の木だった。薄暗い林の中、そこだけが別世界のように華やかで、何ともいえない不思議な気持ちになったことを今でもよく覚えている。
 花が終わり葉と同じような表面のつやつやした大きな実がつくと、石にたたき付けてきっちりと組み合わさった二、三個の種子を中から取り出す。コンクリートにその種子の角をこすりつけて穴を開け、細い棒で中の胚や胚乳を取り除き、笛を作ることもあった。
 濃い緑のつやつやとした堅い葉に、赤色の五弁の花びら、花の赤を際立たせる雄しべの先の黄色い花粉。決してむやみやたらに枝を伸ばさず、安定感のある木そのものの佇まいもいい。
 春と言えばすぐに桜の花が思い浮かぶが、椿の花のある風景は、私の中に深く染み込んでいる春の風景なのかもしれない。思えば桜を美しいと眺めるようになったのは、大人になってからだ。ところで、現在私たちが「桜」と呼ぶ染井吉野が日本中に広まったのは明治以降のことである。つまり、それまでに詠まれた桜の歌は、今私たちが目にしている染井吉野ではなく、山桜を詠んだものであるということは知られているのだろうか。

巨勢山のつらつら椿つらつらに 見つつ偲はな巨勢の春野を
――万葉集 坂門人足 より

 私が経験してきた椿の花の風景と、約二千年も昔の人々が経験した椿の花の風景は異なっていることだろう。だが、春が訪れる毎に椿の花を愛でた人々の精神のようなものは、途切れることなく今の時代を生きる私たちの中にもあるように思うがどうか。

*画像の鳥は、House Finch(メキシコマシコ)のオスです